デジタルデバイト
この言葉を聞いたのは
何年も前です。
デジタルデバイトとは
情報通信技術を利用して
恩恵を受ける者と、
利用できずに
恩恵を受けられない者との間に生ずる
知識・機会・貧富などの格差。
と定義されています。
が
我が家は
もう5年以上
テレビを付けて
ニュースを見ないし、
ラジオも付けません。
スマホからの情報も
あまり必要としていません。
ICT教育も
かなり前から
言われていましたが...
あるとき
ふと
思いました。
情報の洪水で
頭が混乱し、
何が必要で
何が不要なのかさえも
もう識別さえできず
大切な“感じる”ということも
今では
画面を通した
バーチャルでの
疑似体験は
もしかしたら
人間が生きていく上で
最も重要なものを
忘れてしまっている...
そう感じました。
それは
静かな時間の中に
ひたすら
自分自身の内側を
観じるということ。
自分自身の内側を観るとき
本気で取り組むと
いかに
頭の中のおしゃべりが凄いか
ビックリします。
そして
頭の中のおしゃべりに気付くとき
こんなにゴチャゴチャしたものを
持ちながら
生きていたのか、と
実感します。
忍耐強く
それでも
自分自身の内側を観ようとすると
やがて
静かな瞬間が
やって来ます。
そこに留まる努力を続ける...
デジタルデバイトと言われて
焦って
何かの情報収集したとしても
大抵は
たいした情報ではありませんでした。
むしろ
静かな時間を持てば持つほど
この世界を
情報というフィルターを通さずに
観ることができます。
だから
安心できます。
何より
本当に必要な情報ならば
必ず
必要なときに
情報の方から
やって来るのです。
静かな時間を持ち
静かな心であることこそ
何よりの豊かさだと
私は
観じています。