心に響く言葉と
虚しい言葉とがあります。
虚しい言葉は
音にしか過ぎず
空きカンがコロコロ転がるような
あるいは
ATMで機械音が
「ありがとうございました」
というような感じでしょうか。
「戦争ではなく平和を」
「差別撤廃」
「ゴミは拾いましょう」
「いじめは止めましょう」
確かに
言葉としては
正しいのです。
でも
響かないのです、心には。
なぜなら
「戦争ではなく平和を」
「差別撤廃」
「ゴミは拾いましょう」
「いじめは止めましょう」
これらの言葉の後ろには
“私は正しくて周りは悪だ”という
荒々しい波動が感じられるからです。
「いじめは止めましょう」
という教師が
学校現場に慣れていない教師を
散々批判・非難するということが
まかり通る中で
子ども達に
「いじめは止めましょう」と言っても
虚しい言葉にしか響きません。
理論・知識など頭で考えた言葉も
私には
響かないのです。
情報が溢れる中
本当に
大切な言葉は
心に響く言葉。
たった一言でもいい...。
その言葉を
目にしただけで
耳にしただけで
ホッとして
涙が出てくるようなものが
内側からこみ上げてくる...
それは
その言葉自体が
表現者の体験から生み出された
生きた言葉 “命が宿る言葉” だと
思うのです。
その時
言葉は
光となって
誰かの笑顔の
きっかけになるかもしれないし
あるいは
誰かの希望になるかもしれません。
神様は
人間に
文字や言葉という
素晴らしい贈り物を
与えて下さったのは
文字や言葉を使って
この世界を
美しいもので
満たしたい、と
人間に託したのではないでは
ないのでしょうか...。
美しい言葉を放てば
自分も周りも
幸せにならないわけが
ありません。
苦境にあるときは
どうしても
不平不満・愚痴の言葉が出ますが、
それは
“弱さの証”であることも
また体験したから
分かります。
不平不満・愚痴は
やがては また
そのまんまの波動が
自分自身に返ってくるのです。
想いを込めて
一言一言を
伝えていく意識を持つ...。
言葉で伝えたくても
伝えることができない
障がいのある子ども達と
長い時間を
共にしてきた私は
“不平不満・愚痴
誰かのうわさ話
誰かを裁くこと”に
言葉を使うくらいならば
どうか
子ども達に言葉を下さい、と
何度思ったか
分かりません...。
心に響く言葉と虚しい言葉
それは
その人の人柄・生き方・生き様を
そのまま
表現しているように
思います。
心に響く言葉と虚しい言葉
どう生きたいのか
どう生きるのか
自分自身は何者なのか...
一番大切なことは
ここだと
今
確信しています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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