娘が小学校へ入学してから
“お母さん”として
様々に
試される機会が与えられました。
例えば
娘が
他者から
意図しない
心ない言葉を
投げられたり...
そんな時
親子共に
学ぶチャンスを
戴けた...と
すぐに
感じます。
「お友達が
本当に
幸せだったら
あなたに
あなたが
傷つくような言葉を
言うのかな?
自分が幸せなら
人に優しくなれるでしょ?
だから
人に傷つくような言葉を言う人にこそ
あなたが
心の中で
“〇〇ちゃんの心が
幸せであるように”と
祈ったら
あなたも〇〇ちゃんも
両方が幸せだよ。」
子どもが
幼いほど
お母さんの言葉は
まるで
“神言”のように
子ども達に
染みこんでいくから...
だから
何があっても
誰かを責めたり
誰かを恨んだり
誰かを悪く思うような
苦しい価値観を
与えないように
美しさが伝わるよう
まずは
1人の人として
己の身の在り方を
いつも
振り返るようにしています。
子ども達には
私たち大人に
想像もできない未来を
生き抜くことができるだけのタフさが
育まれるよう
知恵を愛を注げる己であろう、と
いつも
思います。
高校生になった
長男が
受験を乗り越えるとき
私は
塾に行かせず
「分からない」という
数学を
一緒に解きました。
その時
私たちは
大きな気づきを得ました。
数学の答えは
1つであるにも関わらず
そこに至る解法が
それぞれに
違ったのです。
それは
自分とは
考えや思考が違う人の存在は
自分の世界観を拡げてくれる...
という気づきになりました。
“お母さん”
その一言の中には
深い深い温かな想いが
ぎゅっと
詰まっているように
感じています。
