仏の顔も三度まで...
このことわざを
何度も目にしたし、
何度か耳にしました。
「仏の顔も三度までだぞ!」
そう言われた後に
叱られたこともありました。
ところが
ふと
思ったのです。
私が
神様に
何回も何回も
どんなに暴言を吐いたときも
泣きながら叫んだときも
神様は
無限に
光を与え
空気を与えてくれていました。
こんなことを言っていた私に
神様は
「三度までって言っただろ。
四回目の今からは
空気をやらん。
光もやらん。」
そんなこと
一度も言いませんでした。
もし
そうなら
生きている人間は
この地球上に
何人残れたことでしょうか...。
じゃあ
“仏の顔も三度まで”の
仏って
一体ダレ???
神様は
人を
無限に赦し
無限に愛す...
と言います。
仏の顔も三度まで...
それは
“良い人の顔をした人間”なのでは??
人間ならば
分かります。
“自分”にとって都合が良ければ
機嫌も良く
対応も良いし、
逆に
“自分”にとって都合が悪ければ
機嫌が悪く
対応もおざなりになります。
昔
仏や神について
考えたことがありました。
小さかった私の答えは
神も仏も同じ存在でした。
目には見えないけど
確かに
人間を守ってくれる何か偉大な存在...。
そんな偉大な存在が
“仏の顔も三度まで”って
数を限定するはずはなかったんです。
それは
人間が決めた1つのルール。
でも
1つの示唆もあるように
思えます。
三度を超えて
無限に
他者を赦し
愛せる自己へと
努力できますか、と。
そのための
意思を
持ち続けられますか、と。
この世界にあるものは
とても
興味深いです。
意識をあらゆる場所へ向けるなら
どんな所からでも
“生き方”を学ぶヒントが
見えてくるからです。
今
外へ行くと
たくさんの命が輝き
教えてくれます。
あとは
それに気づけるかどうか...
大切なことは
足下に
ちゃんとあります。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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