私が
初めて
自分自身の過去生が見えたのは
忘れもしません、
2017年5月のゴールデンウィーク最中でした。
突然
一瞬にして
ある時代を生きた過去生の
1つの人生のストーリーが
すべて見えました。
はじめのうちは
訳が分からずに
“私もとうとう精神を
ここまでおかしくしてしまったのか”
と
過去生が見えたとき
あまりの衝撃に
驚き泣きました。
無理もありません。
私は
現役の教師でしたから
霊的な本を書く人や霊能力者が
過去生を見るなら
話は分かりますが
「自分には関係ない」と
思っていましたし
また
「自分にはできない」とも
思っていました。
過去生は
当時
私が
直接触れた方々から
私の意思を関係なく
見せられることも
多くありました。
障がいのある子ども達の通う
特別支援学校の子ども達の
過去生も見えました。
ちゃんと理由あっての
今生であることも
その時に
実感しました。
今は
過去生は
あえて見ません。
また
希望されても
見ません。
過去生は
諸刃の剣でした。
意識状態には
人それぞれの段階がありました。
まだ
未熟だった私は
クライアントさんの過去生を
希望された方々すべてに
お伝えしていったときに、
過去生を受け止めきれず
怒りに燃える人、
逆に
素晴らしい過去生によって
今の自分はだめだと落ち込む人、
または
全く同じような生き方をしていると
過去生に納得する人、
さらには
どのような過去生であっても
過去生をヒントにして
一歩踏み出していこうと決意する人...
数え切れないくらいに
見させて貰った体験は
いくつもの学びを
私に与えてくれました。
「過去生を知りたい」
「未来を観たい」
そういう方々に何人も会い
時には
「もえさんみたいになりたい」と
言われました。
もえさんみたいになりたい...
本当になりたいですか?
逆に
そう
聞きたかったです。
何を見て
私みたいになりたかったのでしょう。
うつ病にもなりました、
経済的不安から自殺までしそうになりました、
素手で神社のトイレ掃除をするくらいに
救われたいと泣きながら通ったことも
あったんです...。
我が子にご飯も作れず、
笑顔さえ向けられず
寝たきりな母親だったことも
ありました。
過去生を観たり
未来がみえないのは
神様が
今をしっかりと
生きていく中で
私たちが
心を磨き
自分自身を大切にし
同じように
他者に対しても
想いを込めて
行いが為せるように、との
深い深い慈愛だったことに
ようやく
気付きました。
そんな意識も持つことなく
ただ
「人から凄いと言われたい」とか
「自分は特別なんだ」とか
「お金持ちになりたい」とか
そういう心の人に
突然として
過去生が見えたとして
その過去生が
強烈だとするならば
受け止めきれなくて
間違いなく
精神に異常をきたすでしょう。
実際に
私が
初めて見た
過去生のストーリーは
そこまでは強烈ではなかったものの
それでも
最初は
言葉を失い
泣き崩れたくらいですから...。
この4年間
教師を辞めてからの方が
それまで
生きてきた人生より
遙かに
衝撃的で
凝縮され
もがきあがき苦しみもありましたが...
教師を辞めたからこそ
頭の知識での理解ではなく
体験から得た学びや気づきは
実感として
私の身体に染み渡り
“私”が変わっていきました。
安定した立場で
どのようにして
もがきあがき苦しむ人の心境に
寄り添えるのでしょうか。
共感する、と言いますが、
体験した人の共感と
体験していない人の共感とでは
天地の差があります。
苦しみを体験していない人の共感は
時に
同情であり
時に
自分の優越感さえも
内在させていることもあるのです。
それは
目の前にいる
もがきあがき苦しむ人を
本当の意味で
支えることはできません。
もがきあがき苦しむ人に
甘えや依存心を植え付けるのではなく、
もがきあがき苦しむ人だからこそ、
より強く
より優しく
より美しく
より素晴らしくなっていく最中であり
その苦しみから逃げることをしないで
向き合おうとしている
姿にしか過ぎないのです。
私は
もう
過去生を観る必要も無く
また
未来を観る必要も無く、
今を生きる中で
様々な奇跡が
生まれることを
知りました。
やってみたら
分かります、
この世界は
間違いなく
愛の法則の下に
私たちが
生かされていることに...。
そして
愛の法則から
ズレた生き方をするときに
様々な問題や試練といわれるものが
現れることを。
しかし
様々な問題や試練さえも
体験を通して
気づきを得て
学び
成長していく
神様から与えられた
チャンスであることを。
今日も
足下を大切に
一瞬一瞬を
生きていきます。