師を


自分より年上で


今いる場所から


離れた所にいると


勘違いしているときには


私の目には


たくさんのフィルターが


かかっていました。


たくさんのフィルターが


かかっていたにもかかわらず、


フィルターがあることにさえ


気づいていませんでした。


頭だけで理解している分


頭でっかちとなり


観念概念で凝り固まり


柔軟性に欠けていました。




それに


気づかせてくれたのも


日常生活の些細な事が、


きっかけでした。






私と次男坊が


車に乗りました。


さあ出発しよう、と


車のアクセルを踏んだとき


警告音が鳴りました。


「おかしいな。


ドアも閉まっているし


サイドブレーキも大丈夫だけど。」


そう言ったら


次男坊は


「お母さん


 シートベルトだよ。」


そう教えてくれました。


シートベルトを付けずに


走り出そうとしたことは


まず


ありませんでした。


きっと


私に気づきと学びを与えるために


そうなったのかもしれません。



「お母さん


 お母さんに


 付き人がいなくても


 大丈夫なの?」



私は


応えました。


「あなたがいてくれるから


 大丈夫だよ。」




しかし


次男坊の反応がありません。




「どうしたの?」




私が問うと


「お母さんと


 ずっと一緒にいると


 約束できないから、


 “うん”とは言えないよ。」




そう言いました。




私は


「じゃあ


 できるときには


 付き人をやるよ。


 そんな答え方は


 どうかな?」




次男坊は


続けて言いました。




「僕が


 相手との約束を破りたくなくて


 そんな風な答え方をしても


 それを聞いた人が


 必ず気持ちよく


 受け取ってくれるとは


 限らないでしょ。


 人には


 いろんな想いをもった人がいるからね。


 でも、


 もし、


 僕に嫌な気持ちをもった人がいたとしても


 僕はその人を信じるよ。







!!!!!







わずか

11才の子どもが

ここまで理解し

既に

実践していたのです。

本を読んで

道徳の授業受けて

できるようになったのではなく

小さいときから

深いところで

考えていた、と

言います。





私は

“約束”の在り方を

次男坊から

学びを貰いました。




私は

表面の言葉や行いにばかり

目が行っていたことに

あらためて

気づきました。




私の師は

私の身近にいる

身近に在る

すべてすべて、でした。




私の師は11才。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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