小さかった頃見た


フランダースの犬のストーリーの感想は


「ネロは可哀想」でした。


ところが


最近になって


フランダースの犬を


DVDで観たとき


かつての印象と変わっていました。





目に見えるものだけを

見ていたとき

確かに

主人公のネロは可哀想に

見えました。



 貧しいし

たった一人の家族である

お爺さんも

病気で亡くなり

独り身になるし、

村の長や

家を貸してくれていた大人は

主人公のネロに

冷たく厳しく当たるし...。

大人でも

耐えがたい状況に

こんな小さな男の子に対して

これでもかこれでもかと

難題がやって来て

最後には

その肉体さえも

脱いでしまいました。


“何でここまで可哀想なんだろう”

そう思っていました、長い間。









ところが、

意識を

目には見えない視点にした時

“ネロほど神様に愛されている人はいない”

そう思いました。




どんな辛く厳しい状況にあっても、

絶対に

不平不満や愚痴を言わず、

目の前にある

お爺さんと愛犬パトラッシュとの生活を

大事に大事に過ごし、

自分の大切なことは

最後まで諦めない...。

ネロにとっては

絵が

何より大切なことでした。


自分に辛く当たる人にも

良心を以て対応し、

卑屈にならず

人をうらやまず

献身的に働くその姿は

とても美しいんです。



ネロは

神様に愛されていたからこそ

あれだけ

冷たく辛く厳しい人が現れ

それによって

ネロは

より優しく

より強く

より美しく

磨きに磨きをかけられて

最後は

神様の元へと

帰って行ったのですね...。

早く肉体を脱いだのも

この現象世界で

ネロが学ぶことは

既におわったからだったんですね...。

愛そのものだったネロは

愛そのものである神様と一体となり

光そのものとして

至福の中で生き続けるのでしょか。



子ども達に

そのような気持ちで生きていけるように、と

作者の意図が

今になって

やっと

感じられ始めているように

思います。



楽しく幸せな状況の中に

「神様ありがとうございます」と

言えることは

簡単です。


しかし

他者から避難批判されたり

厳しい状況にあるときに

「神様ありがとうございます。」

そう言えるかどうかに

その人の在り方・生き方が

現れることを

私は

知りました。





今だから

分かることもある...

子ども達と

フランダースの犬を観る時間が

こんなにも素晴らしい気づきになったことに

ありがとうございます...

そんな想いでいっぱいです。






熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE