私の目の前に座られた方と
お話をしていて
話の流れの中で
こんなフレーズが
出てきました。
「私は健康で
病気をしたことがないから
病気の人の気持ちは分からないのよね。」
その方は
とても素敵な方です。
病気が
近寄ってきても
きっと
逃げていってしまうのでしょう。
対照的に私は
幼少期から
様々な病気をしてきました。
確かに
病気の人の気持ちは分かります。
分かります...
が
分かるだけでは
人の助けにはならないのかも
しれません。
様々な病気が
なぜ発症したのか、
病気から
いかにして
立ち直っていったのか、
そして
日々を幸せな想いに満たされ
過ごして行くには
どうあれば良いのか、を
自らが
実践しなければ
机上の空論に終わり
何の説得力もありません。
病気に至るには
一概には
言えないはずです。
1人1人個性があるように
病気になってしまった背景は
1人1人違うのでしょう。
私に関して言うならば
1番は
思い方のクセが
病気の原因でした。
病気という弱者であれば
周りから優しくしてもらえるし、
やらなきゃいけない義務からも
逃れることができる...
幼少期から
病弱だった私の誤学習の結果
月日が経ち
私は
仕事でも嫌なことがあり
それでもなんとかやろうとして
やり続けた先に...
私は
うつ病になりました。
あるいは
急性虫垂炎や
子宮内膜症、
メニエール病や
その他
様々な病気がやって来ました。
私が
病気を受け入れたから、です。
病気の人の気持ちは
確かに
分かりますが、
幸せではありませんでした。
断っておきますが、
病気の人のすべてが
幸せでは無い、と
言っているわけではありません。
病気であっても
幸せな中に日々過ごしている方も
いらっしゃいます。
これは
私自身が体験した話です。
うつ的な状態が
かなりひどかった私を救ったのは
薬ではなく
医者でもなく
カウンセリングでもなく
セラピー類いでもなく
また
生活の場を変えるでも
ありませんでした。
脇目も振らずに
一心に
神様を求めて
明想をしたことから
すべてが
始まりました。
だけど
注意しないといけないのは
不安や焦りや怒りや心配や
罪悪感や恐怖や嫉妬などの
思いをもっての明想は
非常に危険であることも
また事実です。
私は
そんな状態で
明想を続けて
実際に
精神をおかしくしていきました。
本来は
徹底して
自分自身の思いを正しく
言葉を美しく
行いを素晴らしいものであるよう
この瞬間瞬間を
意識することが
何より先に取り組むことなんです。
「病気になったことがないから
病気の人の気持ちは分からないのよね」
そう言われていた方は
既に
想いが美しく
言葉も素晴らしく
行いも光り輝いていました。
少なくとも
私には
そう見えました。
そこに
神様が
エネルギーを
無限に
注いで下さる...
実際に
体験したら
そう感じます。
誰かや何かのせいで
病気になったんじやなく
自らの生き方そのものを
あらためていく
分岐点が
病気という形で現れたに過ぎなくて
それに気づき
生き方そのものが変化されたなら
病気というニセモノは
消えて無くなる...。
「自分さえ良ければ」
「人よりも多く」
などの
欲をそぎ落とし
この身を
他者が幸せになるために
捧げようとするとき
神様は
奇跡を起こすのだと
私は
感じています。