ブログを
やめようか...
それとも
続けようか...
そんな気持ちが
“ふと”
湧き起こりました。
いろんな情報が
溢れかえる中で
私の綴る文字は
果たして
役割を為しているのか...
ふと
そう思ったのです。
体験から
学び得たことのみ
綴ってきたし、
華やかさも
“特別感”も
全くありません。
また
特別感を
出そうとさえ
思っていません。
ただ
必要な方に
必要な想いが届くならば...
それだけでした。
クライアントさんを
獲得するため、という下心は
とうの昔に棄てました。
今は
クライアントさんは
ほとんど来られません。
そして
今の私は
むしろ
この静かな時間こそが
自分自身を観る大切な時間なのです。
さらに
家族のために
料理したり
洗濯したり
掃除したりする...
“当たり前の中にある幸せ”を
味わえる時間でもありました。
私が
教師として
勤務していた頃は
意識の大半は
仕事にありました。
かわいい盛りの我が子どもから
「本を読んで」
と言われても
「疲れているから
お父さんに読んでもらってね」と
“お母さん”がいない家でした。
その頃の私は
“できる教師”を
生きる目的とし
それを達成することに
意識を向けていました。
が
幸せはありませんでした。
やっても やっても
終わりなき仕事に追われ
常に
周りからの視線を気にし
精神は
疲れ果てていました。
私は
幸せの意味を
本当の意味では
全く知りませんでした。
さらに
退職後に
ヒーラーとなり
その後
様々な過程を経て
全国から
クライアントさんが
いらっしゃいました。
毎日
毎日
クライアントさんと
向き合う日々は
“本当の自分を知る”ことを
1番大切にしていたものの
私は
抑圧された感情の解放することが
ヒーリングだと
勘違いしていたのです。
私自身が
“本当の自分”を知らなかったにも関わらず
当時の私は
とても傲慢で
その傲慢にも
気づかないくらいに
愚か者でした。
その頃のブログも
今
残っています。
また
その頃のブログを見て
出版社から
「本を出しませんか」と
電話が来たこともありました。
本を
出さなくて
または
出せなくて
本当に良かったです。
もしも
そんな私が
本を出版していたら
さらなる
傲慢になっていたでしょう。
本当は
ブログを消したいとも
思いましたが
あえて
“同じ過ちを犯さないように”との
想いも込めて
残しています。
本当ならば
「穴があったら入りたい」
気持ちです。
だけど
人は
こうやって
体験を通して
自分で
学んでいくという証でもあります。
頭だけの理想論やイメージだけで
人生が成り立つならば
なぜ
私たちが
この肉体を宿して
生まれてきたのでしょうか...。
そんな私に
共に学ぶ方から
「もえさんのブログ
以前
読んでいました。」
と言われました。
さらに
「もう1回
読んでみようと
思います。」
とも
言われました。
同じ日に
2人から言われたのです。
そのうちの
お一人の方は
私の書いたお手紙をご覧になられて
そのお礼に、と
わざわざ来て下さいました。
手紙の文字から
目には見えない私の想いを感じ取られ
その方は言葉を超えた想いを宿され
それを感じた私たちは
言葉を語らずとも
深い部分で繋がってい
とても
幸せでした。
その時に
こんな風にして
神様は
天の使者を
メッセンジャーとして
迷いに対する答えを下さることを
実感しました。
文字から放たれた想いは
必要な方には
100%以上の想いとして
届くことを感じたとき
もう少しだけ
続けてみようか、と
思えてきました。
この世界は
神様が創り
神様によって
創られた私たち人間は
美しく生きること...
それが
どんなに大切で
それが
どんなに幸せであるかを
今
静かに感じています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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