本を求めて
気付くと
何百冊どころか
きっと
千を超える本を
今まで
購入していたと思います。
30代以降
本棚は
気付くと
似たようなタイトルの本が
数え切れないくらい
並んでいました。
それだけ読んでも
私は
なかなか変われませんでした。
また
実感できませんでした、幸せを。
本を読んで
ご縁在るならば
作者のセミナーにも
参加することもありました。
その回数は
1度や2度では
ありません。
幸せを感じたくて
彷徨うように
何百冊越えの本を読んだ先に
私が
最後にたどり着いた本は
僅か3冊でした...。

約1年前に
私の元へ
やって来ました。
最初に
こうあります。
神は愛であり、愛は神である。
しかし
そのことが何であるかを
知っているものはいない。
宗教を一切知らない私は
この本を読んでも
日本語であるにも関わらず
理解できませんでした。
それでも
私は
何回も何回も
読み続けました。
頭では理解できなくても
心の奥底で
何かが必要としているのを
感じていました。
寝たきり状態にまでなるほど
気持ちがどうしようもなかった時には
夫が
自ら進んで
読み聞かせをするほどでした。

その後
昨夏
やって来たこの本は
ある1人のヨギが
どれだけ真剣に神を求めていたのか
その半生を綴ったものでした。
この時の私は知らなかったのですが
この本は
ビートルズや
スティーブン・ジョブズにも
多大な影響を与えたと言います。
この本には
神を感じるためのたゆまない努力と
神への一途な想いという
1人の生き方が
時代や時を超えて
拡がり往く奇跡を感じました。

そう月日を経ること無くやって来た
この本は
何百冊越えの本を読んだ
私の観念概念や知識などを
強烈に壊してくれました。
胸にグサッグサッと
刺さっていくのです。
それは
偽我である自分が
少しずつ
削られる痛みでした...。
この3冊を読んだ回数は
数えきれません。
同じ本を何回も何回も
読み返しました。
時には
1行読んで
目を閉じて
しっかりと感じるまで
次の文字に行くことはないために
1ページ読むのに
何時間もかかるときもありました。
特に

心身の神癒は
スマホに自分の声を吹き込み
散歩しながら
眠りに就く直前
睡眠中
起きるときも
録音を聴きながら目覚めることが
毎日
続いています。
それを続ける中で
やっと
本に書いてあることが
実際に感じられたときに
「読んだことを理解する」
という
本当の意味が
分かりました。
“理解する”とは
実践して=実際にやってみて
実感する=実際に感じる
だったのです。
私は
やっと
本の存在する意味が
分かりました。
もうこれ以上
本は
必要ありません。
大切なことは
知識では無く
実際に
行動して
体験していく中で
気づき、学び、
そして
“自分自身を改善する”こと
だったこと...。
神は愛であり、愛は神である。
神は
法則であり、
法則は
真理であり、
真理は
自己改善だったのです。
そして
自己改善には
終わりがないこと。
学びに
終わりがないこと。
今
時間も空間も越えて
偉大な聖者が
私を導いて下さるのを感じます。

私の本を求めてさすらう旅は
ようやく
終わったのです。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE