自分を知る...
文字にしたら
たったこれだけを
実践することが
どれだけのことか分かるのは
やり続けた人だけだと
思います。
自分を知るために
何かのツールは
一切必要ありませんでした。
この肉体が在れば
充分です。
日常生活の中で起こる事から
自分の思いのクセを知り、
知ったら
「神様だったらどう思うのか」と思案し、
実際に
言葉や行いを通して表現するうちに
だんだんと
意識が変化していきました。
ワンデイセミナーに
参加したらお手軽に変われる...
なんてことは絶対に無くて
日々の積み重ねをするなかで
種が地面に根をしっかり張るように
少しずつだけど
確実に
変化を感じるようになってきました。
神様は愛であり
愛は法則だった、と
知識として得たなら
実際にやり続けないと
逆に
「頭では分かるけど
できないの...」
と
実感できない苦しみに
私は
長くもがきあがきました。
何度でも
何度でも
思いのクセはやってきて
それを取り払うことに
意識を向けることこそが
本当に強い心の持ち主であることも
分かってきました。
神様は
神様を疑うこと無く
愛の法則を生きているか、と
いつでも
試されてます。
その試しが
深い深い愛だと気付けたとき
涙が溢れ出て止まらなくなります。
“あなた以上に
私は
あなたを知っているのです”...と。
先日
私は
横断歩道で
車にひかれそうになりました。
しかし
運転手に対して
怒りは
一切沸かなかったのです。
そして
歩行者にさえ気付けない運転手の心が
どうぞ穏やかでありますように...と
想いました。
この出来事こそ
私は
神様からの贈り物だと
私は
感じていました。
神様からのお試しは
一見すると
嫌なことや辛いことのように映るけど、
愛の法則だけが存在する世界だと確信し、
実践するなら
不平不満は
絶対に出ません。
出そうとさえ思えません。
この身体を通して
どれだけ
周りの幸せのために
貢献できるのか...
それこそが
神様が
私たちを
この世界に
創造した理由でした。
包丁は
食材を切る役割を通して
人を喜ばせることを幸せに感じ、
椅子は
人を座らせることによって
人を喜ばせることを幸せに感じ
物も
この世界にある
花も
石も
土も
空も
全てが
周りの幸せのために存在していると
観じた時に...
全てが神様だったと
想いました。
人間だからこそ
全ての幸せのために
何ができるのか
想うことができるし、
行動することができる...
なんて幸せなんでしょうか。
ささやかな日常生活に
感謝しながら
今日も
一文字一文字に思いを込めて
綴り続けます。

なぎの木整体
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