高校から
合格通知を受け取った
長男が
入学手続きにあたり
入学金をはじめとして
制服代、体操服、授業料などなどを
計算しました。
最終的な数字を見て
長男が言った言葉は
「お母さん、ごめんなさい」
でした...。
その言葉の意味が
私には
痛いくらいに
分かりました。
教師を辞めた後
当時
小6だった長男は
その後
4年間にわたり
私を見ていました。
経済的な不安から
自殺未遂に至ろうとする母親を
身を挺して
守ろうとした長男でした。
だからこそ
自分で計算した
高校入学にあたり
必要経費を知って
私の心情を鑑みての言葉でした...。
私が
最初に発した言葉は
おそらく
自分でも考えていない言葉でした。
「お金を10億払ったとしても、
高校に合格していなかったら
入学したくても
勉強したくてもできないんだよ。
この金額で
入学して学べるなら
有り難い以外なにものでもないよ。
何より
あなたは
それだけ
努力してきたのだから...。」
実際に
私は
長男の出した数字に
心情は全くブレていませんでした。
私は
そこにこそ喜びを感じました。
数字の奴隷から解放されたことを...。
数字が
単に
表示にしか過ぎず
それによって
喜んだり
悲しんだり
不安になったりすることこそ
お金の奴隷であり
お金を道具として使うのでは無く
お金に使われていることは
私自身が体験してきたことです。
また
何かの判断基準として
すぐに金額で決めようとする心情も
私は
貧しさに映ります。
例えば
花があったとして
花は無限に美しい...
それだけで十分幸せなはずが
「250円の花より
300円の花のほうが
価値がある」とか
他にも
「年収が高い仕事の方が
低い仕事よりも素晴らしい」とか...。
本当は
どれだけ想いを尽くし
周りに幸せを与えられるかが
大切なはずにも関わらず...。
私は
本当の意味で
自由でした。
幸せでした。
長男が言った
「お母さん、ごめんなさい」
この言葉に対して
私が
最終的に答えた言葉は
「ありがとう」
でした。
長男の優しさに
長男の生きる後ろ姿から
人として何が大事か学べることに
そして
今
幸せであることに
「ありがとう」
でした。
春は
もうすぐそこまで
来ています。