昔から


“手”を観る習慣がありました。


手は


その人を


映し出す鏡のように


見えるときがあります。









あるとき


福岡空港のエスカレーターの


一段上におられる方の手が見えました。


丁寧に手入れされ


爪にはネイルされた


色鮮やかで華やかな手でした。




私は


自分の手を見ました。


私の手は


台所に立つ時間が長いためか


ハンドクリームを塗っても塗っても


気付けば


ザラザラしていました。





でも

私は

この“手”を

目では分からない美しさがあると

観じました。

子ども達を抱き

子ども達と手を繋ぎ

想いを込めて料理を創り、

この“手”は

愛の手でした。



何かを生み出せる

魔法の手でもありました。



祈りの時

人は

“手”を合わせます。




この“手”は

奇跡も起こせる...



だから

平和の象徴に

国の代表が

握手を見せると思います。



私は

夫と出逢った時

夫の“手”を観て

とても

惹かれました。




長男の“手”は

とても繊細です。




次男坊の“手”は

知的です。




娘の“手”は

優しさです。





この手は


文字も表現できます。





とするならば、


この“手”で


どんな魔法を起こせるのかは


一人一人の想いの在り方に


かかっているように


思います。






愛の手


愛=神



神の手ならば


私は


どう使うのだろう...



そう思いながら


今日も


一文字一文字を


綴ります。






熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE