しかし...
真理を学んで
知識として知っても
それを
自分自身が感じられないうちは
もがきあがき苦しみました。
「分かってるよ。でも、できないの!」
悲しみと怒りで
いっぱいでした。
それでも
私は
神様から
真理から
愛の法則から
どうしても
離れることができませんでした。
もうそこにしか
行くところがなかったから....。
既に
散々やってきていました。
易占いも
心理学も
カラーセラピストも
マヤ暦も
数秘も
過去生も
インナーチャイルドも
トラウマも
アファメーションも
ビジョンボードも...
思い出せないだけで
他にも
やって来ていると思います。
なぜ
私は
真理を学びながらも
それが
愛の法則であり
実践できなければ
何の意味も為さないと
分かっていながらも
実感できなかったのでしょう...。
それは
私の意識の中に
まだまだ
沢山の観念概念があったからです。
私が
愛の法則を実践し続け
日々
様々な体験を重ねて
気づきを得る中で
少しずつ少しずつ
だけど
確実に
神様を実感できるようになりつつあります。
明想も
座って目を閉じているのが
明想ではないことも
やっと
分かってきました。
それからでした。
義務感じゃなく
物事に向き合えるようになったのは。
今まであった
うつ的状態も
実は
教師という仕事が原因でもなく
経済的な不安が原因でもなく
私自身が
過去生から持ち続けていた
愛から かけ離れた意識を取り除き
愛そのものとして生きていくように、と
神様が
私に与えて下さった
素晴らしい贈り物であることに
ようやく
気付けたのです。
それはそれは
見事なカラクリです。
それはそれは
苦しかったです。
だけど
私は
最後の最後は
苦しみから逃げる場所が無いくらいに
追い込められました。
だからこそ
もう
頼るところが
神様しかいなかったのです。
だから
良かったんです。
もし
私が
余力があれば
また
自力で何とかしようとして
例えば
海外に行ったり
したかもしれません。
永遠の幸せを求めて...。
しかし
永遠の幸せは
私の内側にちゃんとありました。
そして
私は
今
目の前にあること
目の前にある子ども達が
とても愛しいです。
愛しいから
何かしてあげたくなるのです、自然に。
子ども達が喜ぶことを。
パンを作ったり
絵本の読み聞かせをしたり
話を聴いたり
散歩したり
そんなささやかな時間が
どれだけ豊かで幸せであるのかを
私は初めて知りました。
愛の法則の通り
私が幸せで
子ども達や
周りの人に
温かな想いを放つほどに
私は
さらに
幸せなんです。
そう感じるたびに
私は
ここに至る途中で
逃げ出さず
泣き言を言わず
私を守り抜いた
夫の強さと愛の深さに対して
言葉にならない想いに満たされます。
体験は宝になる
この言葉は
真実でした。
だからこそ
今
このように
文字にして
体験を綴れます。
そして
綴られた文字は
必ず必要な方の元へと届き
新しい一歩を踏み出すきっかけに
なるのかもしれません。
私は
ただただ変わりたかったのです。
誰を見ても天使に見えるような
そんな私になりたかった...
泣きながら
必死になって
神様を求めていたからこそ
今がありました。
神様があること
真理があること
愛の法則があること
今
それを知って
日々
学んでいけることこそが
幸せだと感じ生きていることを
私は
神様からの贈り物だと
解釈しています。