何故か分からないまま
導かれるように
沖縄の平和記念公園や
ひめゆりの塔
そして
広島平和記念公園へと
1月、2月と
ご縁あって
足を運びました。
頭では
何故
その場所に行こうとするのかは
今でも理解できないのです。
しかし
私は
献花するためのお花を
自ら作り
飛行機に乗って
その場所へと
向かいました。
正直言うならば
私は
幼少期に
沖縄に住んでいましたが、
ひめゆりの塔 は
怖くて苦手な場所の1つでした。
また、
修学旅行で行った
長崎の原爆資料館も
平和記念公園も
できるならば
行きたくなかった場所でした。
何がどう変化したのか
自分でも分かりません。
私が
レンタカーを借りて
ひめゆりの塔へ行くその日
沖縄の天気は
当初は雨でした。
しかし
沖縄へ着いたら
雨は上がり
晴れていました。
ひめゆりの塔へ着く頃には
青空が見えて
とても
気持ちが良かったのを
今でも感じます。
ひめゆりの塔で
私が
まず
祈ったのは
謝罪でした。
自分の内側にあった
被害者意識や怒りや悲しみ..
そんなエネルギーを持っていた自分自身を
詫びました。
そして
私は”愛として生きていきます“と
誓いを立てました。
その時に
とてもキレイな風が吹きました。
見上げたら
桜が咲いていました。
もうそこは
昔のひめゆりの塔のイメージは
全くありませんでした。
なぜ
法律ができるのだろう...
高校公民の教員免許を持っている私は
法律のできる背景が
必ずしも良くない現状を
強力に変えていくために
やむにやまれず
生まれてきたことを
感じていました。
もし
私たちの今居る世界が
完全ならば
法律なんて
絶対に必要ないです。
沖縄の
平和記念公園の前で
献花するときに
1人1人の意識が変われば
100%この世界は
美しい世界へ転換し
その時に
法律さえもなくなる、と
思えてきました。
なぜなら
私たちは美しさしか無いのだから
規制する必要も
禁止する必要も
全くありません。
日々
想いの在り方を正し
言葉を美しく
行いを振り返る意識を
1人1人が
実践しながら
明想を行うならば
これまで現実だと思っていたのが
実は
勘違いしていた世界だったことを
実感するように思います。
子ども達と
初めて
原爆ドームを見ました。
それは
教科書で見たり
文字で知ったりして得たイメージより
さらに
深い部分に伝わるものがありました。
子ども達は
言葉はそれぞれに表現しましたが
“来て良かった”
ハッキリそう言いました。
どうやら
私は
頭だけの解釈では納得しない特性で
実際に体験して学び
そこから意識の変化が起こり
それと共に
私自身が
どんどん変わっていくのを
感じているのです。
もしかしたら
そのために
神様が
必要として
平和記念公園へ
導いて下さっているのかもしれません。
戦争と平和の世界では無く...
平和さえも超えた
“愛”だけの想いに満たされた世界は
必ず
子ども達へと
引き継がれていくとき
法律も
自然に消えているのかもしれません。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE