ブログ


止めようと思ったこと


ありますよ。




それは


この世界にある


法則を知れば知るほど 


自分が表現すること(波動)が


どうなっていくのかが


見えてくれば来るほど...


自分の内に


何度も何度も問いかけて


嘘は無いか


己を飾ろうとしてはいないか


傲慢にはなっていないか...


とやっていくたびに


もう止めようか、と


感じたことがありました。



むしろ


何にも知らなかった時の方が


思ったままに


書き綴っていきました。





ブログ止めよう。




ブログ止めて


一人静かに


家族と共に


神様と共に


日々歩んでいく方が


己の内が穏やかだから。





たくさんの情報が溢れ


人は


それぞれ必要とするものへと


あっちへこっちへ行くならば


私の小さな声は


必要ないかもしれない...。






だけど...


どん底のどん底の中に


いる人にとって


賑やかで派手で


さも凄い情報は


役には


立たないんです。




自分が


どん底のどん底にいた時に


助けてくれたのは...


真実だけでした。




ヒーラーと称した人も


気孔師と称した人も


私を救えず


離れていきました。



また


私も


救いをそこには


求めませんでした。




私を救ったのは


私を想う夫の存在と


私を想う子ども達の存在と


陰日向になって支えてくれた両親と...


本物の師である上江洲義秀先生でした。



上江洲義秀先生は


私に対して


時に優しく


時に厳しく


言葉で伝えてくれました。


その言葉に


時に涙し


時に怒り


そうやって


私は


少しずつ


“私”を知るようになっていきました。




なぜ


上江洲義秀先生の言葉に


怒りがわいたのでしょう。




観念概念や


一般常識や


当たり前などに


凝り固まった私が(偽我)


反発していたから


怒りとなって


表面化していたのでした。


そうやって


今まで


見えなかった...


または


見ようとはしなかった


気づきもしなかった


被害者意識や後悔や


驕り高ぶりや


お金に対する不安や


他者との競争心など


ありとあらゆるものが


炙り出され


苦しみました。


苦しみ苦しみ苦しみ尽くし...


そうして


やっと


焼き付くされたのは...


最後は


神様が働いた時でした。


上江洲義秀先生は


見える形 見えない形で


私を導いて下さいました。






上江洲義秀先生は


私に


ハッキリと言われました。




「体験は宝です。」と。






今の私があるのは


奇跡のような支えがあったからですが、


上江洲義秀先生は


1度だって


「私があなたのためにやりました。」と


言われたことはありませんでした。



私が


「ありがとうございます」と


言ったときも



上江洲義秀先生は


「それは、あなたが努力したからだよ」と


ハッキリと言われました。



私は凄い


私は特別


そんな意味合いのことを


言われたことは


1回もありません。




言葉だけでは無く


行いも


言葉通り


いえ


言葉以上に


美しいのです。





そんな師と出逢って...


体験は宝ですと言われ




私が死にたいとまで思っていた


これまでの体験が


今悩み苦しむ人がいるなら


文字として表現することで


何か前へと進むきっかけとなるかもしれない、




私は


悩み苦しみは


とことんまで


味わい尽くさず


中途半端にして逃げていたから


何度も繰り返していたことが


分かりました。




悩み苦しみ抜いたからこそ


ホンモノが


最後に残りました。



ホンモノとは


神様でした。


神様とは


法則でした。


法則を知らなかったから


苦しかっただけ。


愛の法則、


慈悲の法則。


愛から


ズレていたから


苦しかっただけ。


単純でした。


そして


その苦しみも


愛に向かうために


方向付けるものとして


大切な役割を


担っていたのでした...。








熊本県合志市野々島

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