今日は節分。



 「鬼は外 福は内」の言葉が


思い浮かんだ次の瞬間に


私の口から出てきた言葉は






鬼はいない




でした。




「鬼は外 福は内」


この言葉は


物心つく頃には


2月3日に


必ず


周りの大人が言う言葉でした。



幼稚園では


鬼のお面を付けた大人がやって来て


私たちをおどし、怖がらせて


豆を投げつけられて逃げ去っていく...


逃げ去っていく鬼を見て


ホッと安心したことを


今でも覚えています。




絵本や


先生の話では


「鬼は


泣き虫や


怒りん坊や


意地悪や


嘘つきや


ズルによって


色が変わるんだよ」


そう言われて


妙に納得していました。





自分が大人になり


教師になり


養護学校で勤務する中で


時に


鬼に扮したことが


何回もありました。


さらに


親になってからも


夫が鬼になるように伝え


自宅で


豆まきしました。






ところが...





知れば知るほどに


真実が


姿を現して


くれています。





神様が創ったこの世界は


神様が完全であるように


神様が愛であるように


神様が光であるように


美しさと素晴らしさに


満ち満ちているはず...。




もし、


そうでないと思うなら


 人間が


神様から離れ


人間自身が


無いものを


心で創り出して


まるで


怒りや悲しみや


恨みや不安や恐れがあるように


勘違いしてしまって


勘違いを


子ども達に


刷り込んでしまい


この世界で


無いものを展開していた...


ということを


ハッキリと感じたのです。



神様に


良い悪いが無いように



良い悪いは


人間が創り出したものであるなら


鬼は外 福は内も


人間が創り出したもの。





だから


本当は


鬼はいなかった...。





そう


鬼はいないんです...。





だけど


鬼がいるように


感じてしまうなら...


(不安や恐れや後悔や怒りや嫉妬が


 心の内に感じるならば)



感じているエネルギーを


神様へと向かう


起爆剤にしていきました、私は...。





紙飛行機の先端に


何も付けないと


手元を離れたら


木の葉のように


ヒラヒラ落ちていきますが、


紙飛行機の先端に


重りを付けたら


まっすぐ目的の方向へと


進むように


心の内にある重たいエネルギーを


一心に


神様だけへと向かわせていくのです。



その時に


必ず実感します。




鬼はいなかったけど...


だけど


あるって感じていたから


苦しかった、辛かった。


でも


その苦しみや辛さがなかったら


神様を感じることさえ無かったから



鬼に感謝します、と。




鬼は


笑顔になり


その目からは


涙が溢れ


その姿は


さなぎが皮を脱ぐように


鬼の衣がキレイに溶け去り


現れたのは


蝶では無く


白い衣をまとった神様そのものでした。






熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE