幼稚園を卒園するとき
寄せ書きに書かれた
担任だった
先生からのメッセージ。
「あなたは優しい女の子。
だけど
嫌なことには
嫌だと言える
強い人であってね。」
私のことを
よく見て下さっていたと
思います。
嫌なことには嫌と言える勇気
なかなか
嫌とは言えなかったです。
嫌われたくなかったから。
争いを起こしたくはなかったから。
自分が不快になりたくなかったから。
関わる人を傷つけたくなかったから。
遊びたくない人だけど
嫌とは言えなくて
苦痛な時間を過ごして
疲れ果てて帰宅したことは
数えきれません...。
やがて
私は
一人でいることを
選ぶようになりました。
一人で居ることは
端から見たら
寂しそうとか
友達もいないのとか
思われるかもしれませんが
寂しさを紛らわせるための
友達なんて
私には
必要を感じませんでした。
わがままからの“嫌”ではないのです。
自分の内側の想いに
嘘をついたら
感覚がだんだん麻痺してきて
自分にとって
何が大切なのか
何を美しいと思うのか
分からなくなることが
一番怖かったです。
空を見て
美しいと思った...
だけど
Aさんは
悲しいと感じたときに
「ね、悲しい空だと思わない?」
と
言われて
「うん。そうだね。」と
言うのに
合わせる必要は
無いと
思います。
私は
「美しい」と
感じたんだから...。
「Aさんは悲しい空だと思ったんだね」
ただ
それだけです。
Aさんと
全く同じように
表現することは
無かったんです...。
自分のハートの奥の優しさや光を
大切にしよう...
最近
より強く思います。
自分の想いを
我慢して押さえつけたら
きっと
他者の想いも
無意識に押さえつけてしまいます。
自分の想いを大切にするとき
同じように
他者の想いを大切にできるから。