神様の想いに
人は
いつ気づけるんだろう...
ふと
そう思ったのには
ワケがあります。
以前の私は
将来〇〇したい
将来は〇〇していると
明確な目標やビジョンを持つことが
生きていくためのコンパスで
必要不可欠なものだと
思っていました。
そして
過去を振り返ることは
時間の無駄であり
否定、非難する気持ちがありました。
ところが...
夫は
将来に対して
〇〇したい
〇〇しようなど
目標も計画もなく
そんな夫に
私は
ふがいなさと頼りなさを感じ
改善するように何度も言い
苛立ちさえ感じていました。
また
過去の話をよくする夫の話の内容が
本人にしか分からない地名を出したり
本人しか分からないかつての話をしたり
私には興味が無く
無価値であり
なぜ
そんなにも
過去の話をするのか
不思議で仕方在りませんでした。
私たち夫婦は
真反対の意識を持って
生きていました。
神様は
素晴らしいです。
神様は
私の頭なんか
想像もできないほど
深い愛を持って
与え続けて下さっているのを
感じたのは...
自分を深く見詰め続け
深い部分を観じるように
常に意識を
持つようにしたからです。
もしも
私と同じように
夫も
かつての私のような
未来を見て
ビジョンや計画をし
未来を、未来をと
生きていたなら...
ゴールの無い理想の未来ばかりを追いかけ
今現在にむなしさを感じる家庭を
作っていたでしょう。
もしも
私と同じように
夫も
かつての私のような
全く過去を
見ないようにする生き方なら...
過去から学びを得ることも無く
同じ過ちを
延々と
繰り返していたでしょう。
夫が居たから
生き方のバランスが
取れていたのです。
そのバランスとは
まさに
“今”に
ありました。
何故
私は
未来ばかりを
見ていたんでしょう。
それは
今に不満があったからでした。
何故
今に不満があったのでしょう。
それは
私自身に対する不満があったから。
何故
私自身に対する不満があったのでしょう。
それは
私自身が嫌いだったから...。
だから
未来に対して
目標設定して
目標達成しても
私は
次から次へと
新たな目標設定をし
尽きること無く
果てしなく続いていました。
何故
私は
過去を見ることを
否定、非難していたのでしょう。
それは
過去からのネガティブな思いに
感情が揺れてしまうから。
感情が揺れてしまうことに
耐えられないほどの苦しみがあったから。
その苦しみは
今生だけではなく
思い出せないけど
過去生からのものもあり
私は
夫の過去の話をきっかけとして
過去の感情に蓋をしていたものを
無理矢理こじ開けられようとすることが
怖かったんです。
だから
知らず知らずのうちに
過去の話をする夫を
否定、非難していたことが
分かったのです。
“自分を知る”のは
自分と
関わり合う
人や出来事を通して
自分が何を感じ
何を思い
どう行動するのかを
見つめていくことから
姿を現すように
思います。
その過程は
決して
楽では無かったけれど...
目を背けないで良かった...
真正面から
向き合い続けて良かった...
そう思います。
私が
私を知れば知るほど
愛しくなります。
何も知らない中に
よくこんなに
頑張って生きてきたね、と。
そして
神様が
私へと夫をパートナーとして
今生
出逢いを下さった
深い深い慈悲の想いに
ただただ
感謝しかありません。
パートナーが
夫だったからこそ
大切なことに気付けました。
一番身近な夫に対して
否定、非難を向けることは
誰に対してでもない
自分自身に対して
否定、非難していること...
そして
そんな自分では
到底幸せにはなれないことも
夫は
教えてくれました。
夫は完全でした。
神様
神様の想いに
私は
気付けていますか...
そう問いながら
今日も
学びの時を刻みます。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE