自分の職業や
住んでいる家や
乗っている車や
学歴など...
成績や地位やお金とか
高ければ高いほど
多ければ多いほど
幸せになれると
信じて疑わなかった頃が
ありました。
人と比べ
時に
優越感を味わい
時に
劣等感を味わい
何十年が
過ぎていました。
しかし
幸せになるどころか
生きづらさだけが
増えていっていました...。
教師として
専門性を高める研修を受けても
休みの日に
さらなる学びをしても...
「自分はこれだけやってるんだ」と
自己満足で終わり
幸せの核にまでは
どうしても
至りませんでした。
車があっても...
キレイな服があっても...
やりがいのある仕事に就いていても...
私は
教師という肩書きを手放しました。
服も買わなくなりました。
車も2台あったものを
必要最低限の1台にしました。
車1台。
田舎である熊本で
車が無いことは
生活に制限が出てきます。
昼間
我が家には
車がありません。
ところが...
その不自由さの中に
新たな気づきが
生まれました。
自転車です。
この自転車で
子どもと
図書館へ行ったり
買い物へ行ったりすると
車では
絶対に見えなかったものが
見えてきました。
子どもの交通ルール。
学校で学んでも
実際の道路で
「危ない」と思う場面に
何度も出会いました。
自分が子どもと共に
自転車に乗ることで
「危ない」と思った時点で
交通ルールを
すぐに伝えられます。
“実践”として
知らないから
間違いを起こして
事故に繋がることを
知りました。
(道徳の授業を受けても
落ちているゴミ一つ
拾えないように...)
交差点で
青になりました。
自転車に乗った次男坊は
渡ろうとした時
右折しようとした車が
交差点に入ってきました。
次男坊は
車を見て
自転車を止めて
引き返そうとまでしました。
車が
次男坊の自転車を
待っているにもかかわらず...。
私は
次男坊に
早く渡るように
促しました。
次男坊は
訊ねます。
「車が来ていたから
止まったんだよ。
なぜ
渡らないと行けないの?」
次男坊は
自分が正しいことをした、と
思っていました。
しかし
車の教習所で学んだ人は
車視点のルールを
習得しています。
道路は
弱者優先であることを...。
不自由さの中の豊かさ...。
大切な命を守るには
頭だけの情報では
不十分であることを
私は
次男坊と共に
自転車に乗ったことで
学びました。
自転車は
車ほど
遠くには行けませんが
車では
通れない細い道を通れたり
その細い道に
今まで知らなかった発見があったり
近くにあるものを
より深く感じることが
できるのです。
何より
子ども達と
同じ視点での体験は
いつの間にか
忘れてしまっていた
大切な感覚を
思い出させてくれています。
それは
頭では無く心の奥で感じるということ。
体験した人にだけやって来る気づきは
生き方そのものさえも変えていくほど
素晴らしい宝であることを
今
私は感じ
豊かさの中に生きています。