苦しければ
苦しいときほど
手当たり次第
何かに
助けを求めたい気持ちは
よく分かります。
過去生さえ分かれば
原因さえ分かれば
解決するはず...
必死であればあるほど
どうにかして
少しでも楽になりたいから
解決策を模索します。
それが
過去生に求めたいならば...
以前
私が
上江洲義秀先生のセミナーに
参加した時
なるほど
確かに
その通りだ!!
と思うお話がありました。
“過去生が知りたいと言う人は
今の自分をよく見たら分かります。
今、怒ってばかりの人は
過去生も怒り癖があったでしょう。
今、嫉妬に燃える人ならば
過去生でも嫉妬癖があったでしょう。
簡単なんです。
その癖を改善し、
法則(真理)を知り、
愛として
生きていくことなのです。”
この話を伺う前から
私は
過去生で
自死していることを
知っていました。
自死に至った
原因までは
見えませんでしたが、
なるほど、
確かに
苦しいときに
「死」に
逃げようとするクセを
改善にまで至らしめるのは、
相当の意思や努力や勇気、
忍耐が必要でした。
何度も何度も
思いました。
“死んだらどれだけ楽になるだろう”と。
過去生を知って、
自死しても
また生まれ変わり
同じ宿題を正しく解かない限り、
何度も何度も
生まれ変わりを繰り返すことを実感しても、
それでもクセを改善するのは
並大抵の意思や努力では不可能でした。
だから、
自分を本当の意味で
知るまでの過程は、
戦場に身を置くより
遙かに厳しいものだと
聖人は表現しているのです。
しかし...
今
私は
宿題を解き終えました。
それができたのは
過去生を
見たからでは
ありませんでした。
家族の深い愛に見まもられ、
自らも必死になって
“神様、神様、神様”と神様を求め、
それだけを求め続けたからです。
今の自分の在り方を見たら
過去生さえも
分かります。
1番大切なことは
今
だったのです。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
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