体験は宝なんだよ...
体験してきたから
たくさん学び気付き
今に至ったんだから...
その言葉が
何度も何度も
響きます。
そんな私が
かつて
小学校教員で
3年生の担任をしていた時...
そのクラスには
いわゆる
“気になる子”と
引き継ぎを受けた
男の子がいました。
とても
やんちゃでした。
ある日
その男の子が
廊下でケンカしていると
子ども達が
私を呼びに来ました。
行ってみたら
やんちゃな男の子と
不登校気味の男の子の
2人が向き合っていました。
4月の下旬の出来事でした。
新しいクラスの緊張が
少し解け始める頃に起こった
2人のケンカ。
私は
「どうしたの?」と
まず
やんちゃな男の子に聞きました。
理由を話し始めたら
その途中で
不登校気味の男の子が
「いや違う!!」
と
大きな声で言いました。
その瞬間から
不登校気味の男の子が
ケンカの理由を
話し始めたのです。
男の子2人と私との周りには
クラスの児童が
取り囲みました。
休み時間も
間もなく
終わりになりそうだった私は...
授業が
始まることも気になり...
話が
一段落したところで
やんちゃな男の子に
言いました。
「○○なことで
ケンカになってしまったから
謝ろうね」と。
やんちゃな男の子は
納得いかない顔をして
しばらく黙っていましたが
やがて
吐き捨てるように
「ごめん!」と
言いました。
「ごめん」と
言われた不登校気味の男の子も
それこそ形だけの
「うん。いいよ。」
と
言って
表面的には
解決して
教室へと
入っていきました...。
そのやり方は
私も含めて
やんちゃな男の子も
不登校気味の男の子も
見ていた子ども達も
おそらく
“普通”に
思われました。
が...
何年経っても
とても
気持ち悪い解決の流れでした。
何故だろう...
その時の私のやり方は
やんちゃな男の子に
原因の全てがあると
私の色眼鏡で見て
不登校気味の泣いていた男の子は
泣いているという姿から
「可哀想だから私が守らねば」という
私は
正義の教師でした。
なのに
やんちゃな男の子も
不登校気味の男の子も
私も
誰も
納得した雰囲気は
全くなかったのは
私の意識の在り方そのものが
誤りだったから、だと
かなり年数経ってから
ようやく
分かりました。
私が
私という人間を知らないから
無意識に
固定観念、固定概念
常識や周りの目などの
フィルターで
全てを見て、判断し、
行動しました。
私は
教師とはこうあるべきというもので
子ども達から
一段高い位置から
指示していました。
納得いかない子ども達には
言葉を並べ立て
自分の思うクラスであるよう
枠にはめようとしました。
何より
良い、悪い
正しい、悪いなどで
いつも
全てを
見ていました。
常に
そんな意識だったから
子ども達の
一挙手一投足に
神経をピリピリさせて
「○○しないとダメでしょ」
と
声も
次第に
大きくなっていきました。
優しい先生でありたかったのに
子ども達と楽しく日々を過ごしたかったのに
私は
授業もちゃんとしなきゃ
生活面でも指導をちゃんとやらなきゃ
学級経営もちゃんとしなきゃ...
そんな意識で
教師の仕事が
楽しいはずは
ありません。
そもそもの誤りは...
私が
この世界の法則を知らないままに
教師をしていたことでした。
愛の法則があると
知っていたら...
子ども達のケンカを
あなたが悪いから
謝りなさいなんて
そんな押しつけは
絶対に
できませんでした。
しかも
ケンカした2人だけが
本当に
問題だったのか...
ケンカが
悪いことではなく...
人と人との
考えや思いの違いを
どう理解し合い
腹の底から納得し
生き方そのものが
大きく変化していくチャンスに
できるような
そんな意識を以て
私自身が生きていたら
子ども達のケンカを
悪いと決めつけを
しなかったことでしょう。
そんなやり方が
今の大人の
形ばかりの心無い謝罪を
作ってしまったんだ...と
思うのです。
我が子が
冗談で
「誠に申し訳ありませんでした」と
テレビで流された謝罪会見を
真似した時に...
あぁ
子ども達には
大人の謝罪が
心がこもっていないと
ちゃんと
分かっているんだな、と
感じました。
体験は宝なんだよ...
この言葉が
今
響きます。
そんな体験があったからこそ
教師の意識の在り方の重要性を
改めて
思うと共に
今の己の在り方を
常に
見続けていく意識の大切さを
感じています。
傲慢さはないか
努力しているか
謙虚さはあるか、と。
愛の法則には
良い、悪いは無い
そんな世界で生きていくと決めて
今に至ります。