うつ病...


その辛さは


傍からは


絶対に分からないもの。


傍から理解されないものだからこそ


余計に


思い通りに動かない自分の身体や頭に


苛立つ感情。





うつ病だと


診断が付いた時


まるで


免罪符を貰ったかのような


安心感が生まれ


ようやく


心から休めると思ったこと。




しかし


次にやって来たのは


いつ治るんだろうか


仕事には復帰できるだろうか、


復帰後はちゃんと仕事できるだろうか、


周りはどんな目で見るだろうか、


再発はしないだろうか...





結局


診断を受けても


本当の意味で


真から休まることの無い


うつ病という存在。





仮に


診断が付かなくとも


(病院に行かないから


診断が付かない)


そんな症状に


光が見えない日々。




易占い師から言われた


「うつ病は一生治らない」の言葉。









だけど...

それは体験にしか過ぎないことを

知りました。




そんな体験を通して

しっかりと

学び終えたら

再び

同じことは

起こらないという事を。



保育園から

小学校へ入学したら

保育園へ

二度とは

戻ることが無いように...






うつ病から

学び深まりへと至り

ブレないものとして

自分の中にあり続けるなら

うつ病が

出て来る必要は

ありません。




再発するなら

そこには

恐れや不安という想いがあるからで...。

恐れや不安を心に受け入れなければ

(影響受け入れなければ)

うつ病は

生み出されることはありません。




できることは

徹底して

想いを

“神様ならどう思うか”


照らし合わせることだけ。



神様なら

責めません。

動かぬ者をいたわります。


しかし

神様は

怠ける者を知っています。

だから

怠ける者には

謙虚に働くよう気付きを促します。


神様なら

比べません。

全てを等しく観ます。


神様なら

優劣をつけません。

目の前の1つ1つを

丁寧にあたるに専念します。

神様なら

欲を持ちません。

お金や肩書きや地位なんて

求めません。

神様なら

キレイに着飾ることを

喜びにはしません。

(清潔にはしますが)



こうやって

意識を常に

“神様ならどうするかな”に

置いていると


発する言葉が変わります。

表現される行いが変わります。


どんどん意識が

変わっていくのを感じるとき

うつ病は自分の意識(偽我)が作った幻だったと

実感する日が必ず来ます。

実感できるかどうかは

どれだけ本気で

やり続けているかどうか。





その時に

思います。




うつ病は存在しない、と。




存在しないと思う人間に

うつ病はやって来ないから...。







この世界は

意識で創造されています。


だから

私は

いつもいつも

“神様だったらどう思うかな”

意識し続けます。





意識は

常に光へ

常に愛へ

常に神様へ




意識の在り方は

加速度的に

現実になって

現れる今だから

より

大切にしたいです。



“神様ならどうするかな”と...。





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE