求め続けました。


探し続けました。




それが


時に


心理学だったり


令翠学だったり


マヤ暦だったり


カラーセラピーだったり


気功だったり


アロマだったり...





だけどね...


死さえも思うくらいに


もう起き上がることもできないほど


気力を失った人間には


それらは


もう


何の力もありませんでした。





存在を否定するわけではありません。






心理学などは


ある程度


“自分で何とかしよう”と


エネルギーのある人には


理解を深め


時に


後押しをしてくれるでしょう...。






しかし


寝たきり状態にまでなるほど


気力を失った人間が


最後の最後に頼ったのは


人間を創造した


根源の存在だったのです。






そこまでいくと


「合格しますように」


「当選しますように」


「宝くじが当たりますように」などのような


欲は


一切ありません...。





あるのは


ただ1つ...。









神様


神様


神様


神様


神様!!!




叫びにも近い


もう何にも


頼るすべもなくなった私が


最後の最後にできたことは


悲痛なまでの想いで


明想をすること...







ただ


それだけでした。







神様は


人間にとって


都合の良い


存在ではないんです。




神様は


合格や当選や


金持ちになるための


道具でもないんです。





都合の良い神様頼みは


合格したら


「神様ありがとうございます」


ですが


不合格であれば


「神様なんているもんか」



一転します。






何も求めなかった私が


ただ


ただ


神様だけを求めたとき


神様が動いて下さいました。






瞬間にして


私の中が


変わったのを


感じたことを


どのような言葉でも


文字でも


表現は


できません。








しかし


その時に


思いました。





あれだけの


強烈な苦しみは


私を


神様は絶対的に存在することを


体験させるためには


どうしても必要だったことを...。




神様は


あの手この手と


手を変え品を変えて


私を


どうしても


神様と共に生きていることを


知らせるためには


苦しみが必要不可欠だったんです。





もしも


私が


お金に満たされ


仕事に充実し


家族仲も良好で


健康で


満ち充たされていたら


私は


私と家族のみの幸せで満足し


きっと


自分とは何か、


何のために生まれてきたのか、


生きる意味は何か、を


探し続けなかったことでしょう。






でも...


そうじゃなかったから


私は


もう逃げる場所が


ないくらいに追い詰められ、


自分とは何か、を


徹底して追求してきました。






そして



体験の過程を


文字にして


表現しています。





苦しみの最中にあるとき


まるで


苦しみが永遠のように感じ


苦しみから逃れようと


もがきあがき


さらなる苦しみになります。



しかし


苦しみが


苦しみではなく、


実は


神様からの贈り物であり


それは


意識の転換を図ることで


幸せが姿を現すプロセスだと


気付くことができるなら、


もう


苦しみは2度とやって来ることは


無いでしょう...。





必要なのは


想いだけです...。




自分を知るために


テキストとか


紙とか


鉛筆とか


その他


様々なツールは


全く必要ありません。





しかし


そう表現できるのも


私自身が


体験したから...です。




人は


それぞれの体験を通して


最後の最後は


神様の創った


愛の法則に気付き


法則に基づいて


生きていくことを


私は


やっと


知るに至りました。








熊本県合志市野々島

なぎの木整体

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