「人の役に立ちたい」
その想いが
純粋にそれだけならば
絶対に
苦しいはずはありません。
「人の役に立ちたい」
そう思っていても
少しでも
胸がチクチクしたり
苦しかったら
「人の役に立ちたい」という
その想いに
何か別のものが
くっ付いている証。
それは何だったんだろう...。
それは
私の場合は
人より特別でありたい
ということだったようです。
だったようです...
というのは
それに気付いていなかったという
意味合いです。
さらに
お金持ちになりたい
とか
自由気ままに生きたい
そんなものがあったんです。
欲です。
しかし...
私は
「人の役に立ちたい」
という言葉を
隠れ蓑に使い
日々を過ごしていました。
だから
クライアントさんが
コロナをきっかけに
全く
来られなくなったとき
私は
私を見失ったんです...。
だから
苦しかったんです。
愛の法則から
外れていたのですから...。
しかし...
そんな体験も含めて
全てが
神様からの
素晴らしい贈り物だった...
そう思います。
仮に
コロナが無かったとして
クライアントさんが
たくさんいらしたとしても
私は
とんでもない
生き方を
していたことでしょう。
愛の法則から
ズレた生き方に
幸せがあるはずは
ありません。
神様は
法則の世界で
幸せであるように
頭の固い
頑固な私を
諦めることなく
何度でも何度でも
「こっちだよ。」と
教えて下さって
いたんです。
今...
私は
自分が
至福の中に在ることが
波動として
この世界に
どれだけ影響するのかを
実感しています。
焦りも不安も心配も無く
与えられた
今この場で
瞬間瞬間
想いは正しいのか
言葉は正しいのか
行いは正しいのかを
意識しながら
過ごすのです。
周りの誰かを裁くことなく
かりに
自分の心がわずかでも揺れるならば
自分の中に
何か思いのクセはないのか、
見つめ直しなさい、のサインと解釈し
すぐに
修正します。
今は
人の役に立ちたい
そんな想いさえも手放し...
身軽になって
在るようにただ在る...
静かな心で過ごすことが
どれだけ幸せなことかを観じ
神様に
ただただ感謝しか在りません。
今日も
静かな心である素晴らしさに
祈りを込めて...。