苦しみにある時...
そんな時は
必死になって
手当たり次第に
解決策を求めるけど...
束の間の解決策では
もう
何の慰めにもならなかった私は...
手当たり次第に
本を読むことを
止めました。
信じた幾つかの本に
限定し
読んでいきましたが...
分からないのです。
日本語で書いてあるのに
理解できない...。
だけど
私は
どうしても
どうしても
実感できる解決策を
得たかったのです。
ところが
文字の意味が
ストンと
私の中に
落ちてくれません。
数え切れないくらいに
何度も
何度も
読んでいきました。
分からないままではありましたが...
時には
声に出して
読んでいきました。
明想も
やりました。
何時間も
何時間も...。
明想は
なかなか手強く
様々な思いが消えるのに
何時間もかかり、
やっと消えたかと思ったら
次にやって来たのは
睡魔で...。
睡魔と雑念の順番は
時に入れ替わることもありましたが、
それを乗り越えると
最後は
恐怖心が沸き起こりました。
理由のない恐怖心...。
何時間も
何時間も
座り続けたのに
この恐怖心によって
明想を切り上げたことが
何度あったことでしょう。
それでも
諦めず...
私は
アジュナチャクラに集中し、
徹底して光を描き続け
マントラを
内側で唱え続けました。
“私は愛です”
私の求める
私とは何か?
生きる意味は何か?
それを知ることこそが
私が幸せに生きる答えだと
私の内側の奥が
ずっと
示していたから...。
小さな時から、ずっと...。
だから
心理学も学び
哲学も
カラーセラピーも
マヤ暦も
令翠学も
数秘も...
それらを
否定はしません。
自分の意識できる範囲ならば
それらの答えによって
自分の一部を知ることは可能だし、
“自分を知る”最初の足がかりには
なると思います。
しかし
それらは
全てが
外側からの答えです。
私が求めるのは
真実なる答え。
それは
偽我では
絶対に答えられない...。
マントラ(私は愛です)と同様に
私は自分が“愛であるように”
自分の考え方や
自分の言葉や
自分の行いが
“愛そのもの”であるよう意識しました。
が
自分の考えや思いのクセは
なかなか
厄介でした。
言葉や行いは
誤魔化せても
自分の考えや思いは
ごまかせません。
だけど
諦められませんでした。
どうしても
苦しみから抜け出すためには
私は
私を知りたかった...。
私は
全身の力と
精神力と
意識の全てを
“愛”に向けて
明想しました。
明想によって
内側から
“愛そのもの”が
実感できるならば
もう死んでもいい...
それくらいの想いで
やり抜きました...。
その時に
私の身体全体と
私の意識の中に
突然の変化が
起こりました。
それは
人の想像を
遙かに超えるものでした。
それからです...。
私の周りの環境は
全く以て
以前と比べて
何の変化もないにも関わらず、
私は
どんなことが周りで起こっても
“幸せ”なんです。
子ども達が
ケンカしていようが、
夫から
何かを言われようが...。
前なら
感情が揺れて
怒りや悲しみや不安が
次々に
沸き起こってきていたのが
感情を
俯瞰する自分になっているのです。
もしも
感情が揺れるならば
それは
学びのチャンスと捉えて
自分を改善していく方向へ
意識を向けていく...。
そうなったとき
やっと
本に書いてある意味が
分かりました。
私が
本を読んでも分からなかったのは
私が未熟であり
努力が至らないから
実感できなかったのでした。
その時に
思いました。
“分かる”とは
“そう生きていること”だと。
文字を読み
情報を頭に入れても
それを
実践して
自分のものにしていないなら
“分かる”ではないことを。
そして
“分かる”ためには
実際に
努力し続けるしかないのだと...。
楽して苦しみから
抜けられるなら
私が
誰よりも
求めたでしょう。
死にたいくらいに
苦しかったのだから...。
しかし
その死にたいくらいに
苦しかったエネルギーがあったからこそ
私は
内側から
本当の答えを見つけました。
私とは何か?
その答えは...
何にもまさる“幸せ”だし、
それは
実感することでしか
伝えようがありません。
そして
それは
努力によって
誰にでも
同じように
やって来るのです。
私は
それが
嬉しいのです。
努力や
忍耐や
強い意志は
全ての人にあるものだから。
夫から
「最近のもえのブログは難しい」
そう言われました。
その時
「分からないなら分からなくてもいいよ。」
そう言ったのです。
どれだけ
文字を並べても
言葉を尽くしても
表面で理解しようとしても
心の内で
観じようとしなければ
理解できないと
私は
思ったからですが...
しかし
夫の一言から
私は
自分の傲慢さが
まだ
あったことに
気付いたのです。
「もし
本当に苦しい人が
何かの御縁で
もえのブログを目にしたとき
少しでも
光を感じられるなら
やっぱり
少しでも
読みやすくなるような
意識は必要だと思う...。」
!!!
確かに
体験から
学んだことは
実際に
やってみないことには
自らのものにはなりませんが...
だけど
できるだけ伝わるような
意識(優しさ)があったかどうか...は
何より大切だったと
その時に
気付きました。
夫に
感謝です。
ささやかなことの中に
自分自身を知る種があり、
その都度
自分自身を改善し
磨いていく努力をする...
あれだけの苦しみが
今
ベールが取れたように
光に満たされています。
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE