弟が生まれた時から


ずっと


知りたいと思ってきたこと。


それは


途絶えることなく


私の内にあり続けた。


小学生の時


同級生に訊いたら


「そんなことは


大人が話すこと」


と言われ


月日が過ぎていった。








大人になった私の前で


「生まれてきた意味・目的」を


話題にする人は


1人もいなかった...。






生まれてきた意味・目的を


より深く知るように、と


私の前には


人間関係や


病気の問題が


場所を越え


時を超えて


何度も何度も


やって来た。



その度に


「親の育て方」のせいにしたり


「組織の在り方」のせいにしたり...






そうやって


逃げてきた私が...







逃げ場の無いところにまで


追い詰められた時...








私の内側を


観るしか


答えがないことを


確信した。






自分を観ると


偽我が


様々な感情を思考を現してきた。










私は


一線のギリギリを


耐えて耐えて


向き合い続けた。






私が


もし


”神様を信じ抜くことができなかったら“


間違いなく


一生


気の狂った人生を送ることになった、と


断言する。









逃げずに


向き合い続けられたのは


深い想いで


見守り続けた家族と





私を導いて下さった


聖師がいたから。




生まれてきた意味・目的






それは


生まれてきた意味・意味を知ること





知るために


いろんな体験をしてきたこと





生まれてきた意味・目的を知るとは


“自分を知る”と言うこと






自分を知る






この意味を知るのに


自死さえしようとする体験を


してきた過去。






だけど


それさえも


完全だったと


言える日が来た。








生まれてきた意味・目的を知りたい。






その答えを求めることを


諦めない限り


必ず


答えが姿を現す日がやって来る。





そして...


今の時代にこそ


生まれてきた意味・目的を


頭での知識として伝える人ではなく


身を以て実感した人が


生き方を通して


伝えていく必要があると


強く観じる。







何が


ホンモノかニセモノか






それが


分かるのは


自分自身を内観し


ホンモノかニセモノかを


見分ける目か磨かれたとき。







そう意識しながら


今日も


明想を通して


内を観じる時間を


大切にしたい。














熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE