この言葉が


もし


役に立つとするならば...


この言葉があることによって


【休める】正当な理由に


なるからでしょう。



そうでなければ


周りから


批判的な視線があり


さらに


自らに対しても


「なぜできないんだ」と


責めてしまう罪悪感から


離れることはできなかったでしょう。






診断書が出たとき


最初に沸き起こったのは


安心感


だったでしょうか...。





それは


組織に属している人には


あてはまるでしょう...。





少なくとも


私は


そうでした。








あ~


これで休める....。







しかし


組織を離れた私に


精神的・肉体的な症状が


長く続いた時...








私は


カウンセリングも


心理テストも


薬も


医者との対話も


私を


完全状態まで


導けるとは


思いませんでした。




既に


それらは


体験済みでした。


何とか


解決策を求めて


様々に調べてみても


初めて


うつ病と診断を受けた約20年前から


その治療法に


大きな進歩は


みられないように


感じました。








言葉にならない


身体の感覚...


細胞に記憶されているかのような


何ともいえない不快感。


例えて言うならば


崖っぷちに立たされたときに感じる


あんな感じが


常に続いているような感じでしょうか...。




頭は


もやがかかったようで


起きていても


働くことはありません。


しかし


ネガティブだけは


止めどなく


壊れたレコードのように


繰り返しやってきました。


その思考にエネルギーが費やされ


身体を動かさなくても


疲れ果て


毎日


ほとんどを


寝たきり状態で


過ごしていました。






何より


朝は


1番


精神的に重たいものでした。


「また朝が来たのか。


誰か


助けて。」






心も思考も


私は


とにかく


うつ状態から


解放されたかった...。





そうあって欲しい状態は


ありありと描けるのに




「ありがとう」も


散々言ったのに





なぜ


変わらないの...







月日だけが


無情に


流れていきました。







今の自分は


今生だけではなく


幾転生の中で


自分自身がやって来た結果。






そう言われても


過去生で


そんなに悪いことをしたのか


どうして


こんなに苦しむのか...







かりに


戦争の中にいたとしても


寝たきり状態の心や思考の状態は


その戦争よりも


さらに


苦しいものだった...と


ハッキリ言えます。





じゃあ


そんな私は


どうやって


光を得たのか...









私が何とかしよう...


そんな考えを全て棄て


ただ


ただ


この世界を創造したものに


全部を委ねました。





必死でした。




私は


無宗教です。




だけど


幼いときから


不思議と


見えないものが


自然に見えていました。





それを


特別なことだとも


思いませんでした。



また


今は


何も見えないし


見えることを


凄いとも思いません。






私は


自分の思うこと


自分の発する言葉


自分の行い


これらを


徹底して


意識していきました。



しかし


時には


自分のネガティブが爆発して


言葉が荒く


行動が殺伐する事もありました。



それを


何度となく繰り返し...





とにかく


思い、言葉、行いを


正しくすることに専念しました。




さらに


明想を続けました。




ここにしか


もう


私の答えはない、と


思ったから...。




死ぬ気で


やり抜きました。


生半可な気持ちでするなら


気が狂っていたでしょう。





徹底して


自分の内を


観ていったのです。





私を変えたのは


“私”ではありませんでした。




私を変えたのは


“私を創造した


無限の存在そのもの”


だったのです。







頭が


もやが晴れたように


スッキリしています。


朝が来たら


「美しい」と


自然に思えます。


身体は


しなやかになりました。





体験したから


見えてきたことがありました。





自分が苦しんできたのは


自分の観念概念・思考や感情・五感が


“自分”だと


勘違いして生きていたからだと。


そして


勘違いしている自分が


他者や周りの状況に


不平不満・愚痴を思い


それを言葉にし


それを行いにしていたから


全て


自分にはね返って来ていたのです。







そうではなくて


“私を生かしている創造主”の想いに添って


生きていくよう気付くために


これまで


色々な出来事があったこと。






この世界は


慈悲の法則


愛の法則


大いなる不変の法則


宇宙の法則があると知り


その法則の通りに生きていくことを


教えるために


“神様”が


あの手この手を使って


導いて下さっていたのです。






過去も今も未来も。




だから


私は


伝えたい。


体験したことを...。





そして


1人でも多く


自分の思い込みから解放されて


愛の法則の下


穏やかに


安心して暮らすとき


本当の意味で幸せを


感じられる...







“苦しきものよ


幸いなり。


その者は


神の国を


観るだろう。”







この言葉は


真実でした。












熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE