小学生時代
夏休みの宿題は
7月中には
終わる子どもでした。
そして
8月は
遊びまくって...
休み明けのテストは
散々ということは
度々ありました。
教師だった頃も
通知表や
諸々の提出は
1番とまではいかなくとも
かなり
早かったです。
ところが
早く仕上がった通知表には
管理職の添削が丁寧に入り
やり直しをした結果、
完成は
ゆっくり取りかかった人と
全く変わりませんでした...。
「早くしなきゃ」
そう思うとき
焦りと不安と緊張がありました。
呼吸は浅く
思考も滞り
身体には力が入り
周りのことに
目を配る
気を配る
そんなゆとりは
ありませんでした。
帰宅後は
グッタリです。
何もやる気がせず
ただ
横になっていた日々。
「早くしなきゃ」
一体何を求めていたんだろう...。
一言で表現するなら
安心したい。
しかし
「早くしなきゃ」と
思えば思うほど
小さなミスや
時間に追われる感覚が
さらに
ペースを乱していたんです。
そして...
グシャ!!
心と身体の限界でした...。
ひとり旅で
自然に帰ったときに
気付きました。
自然は
何一つとして
「早くしなきゃ」と
事を急がず
焦らず
身を委ねて
周りと調和していることを。
人間だけが
自然からかけ離れ
早いことは良いこと
という勘違いから
周りと競争し
“少し周りと比べて早い”
というだけで
束の間の安心感を
感じたりします。
ところが
早い人は
周りには
いくらでもいるため
心安まるときは
ほとんどありません。
さらに
速さを良しとする
考え方を持っていると
自分だけでは無く
周りにも
その価値観を
押し付けてしまうことに
自分で
気付けないことも
多々あるのです。
そして
その考え方は
周りとの不協和音を
やがては
発していくのです。
大切なことは
どれだけ早いか、よりも
どれだけ想いを込めるか、だと
いつも思うのです。
早くできたものには
自己満足はあるかもしれません。
でも
想いを込めたものには
周りを感動させる“何か”が
確かにあるのです。
時代は
先が見えないくらいに
どんどん変わっていくのでしょうが
“想い”だけは
いついかなる時にも
変わらずハートに届き
人の生き方にまで
影響を与えるように
私は
解釈しています。
世界が
光に包まれますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE