なんで結婚したんだろ...
そう思ったのは
1度や2度ではなく
何度でもありました。
そう思うときは
たいていが
幸せなときでは
ありませんでした。
ところが...
よく観てみると...
夫が
あまりにも
美しすぎるのです。
光なのです。
眩しいのです。
考え方や
物事の捉え方や
行動や
言葉の1つ1つが...。
それに対して
私は
自分の心の醜さを
際立たせるような
夫の存在に
怒りをぶつけたのです。
これが
“偽我”です...。
偽我は
苦しみを
自分で作り出し、
それにも関わらず
苦しみに堪えかね
周りを巻き込み
傷つけていきました。
偽我は
ニセモノでありながら
まるで
“自分”であるかのように
存在して
つじつまの合わない理由を出しては
私を苦しめ
夫も巻き込みました。
それでも
夫は
私の傍に
居続けてくれました。
逆なら
どうだったんでしょう。
離婚してました。
なんで結婚したんだろ...
学ぶために...
琉球文化の濃い与論島で育った夫は
与える人でした。
情報も
求める人がいるなら
惜しむこと無く
与え続けました。
私が
かつて
カウンセラーとしての
話を聞いていた頃...
カウンセラーから
こう言われました。
「時間をきっちり区切って
話を終わりましょう。
クライアントさんは
長引くようなら
10分で1.000円かかります、と
伝えて下さい。
そうすれば
時間内に
集中して
取り組むでしょう」と。
何も知らなかった私は
その話を鵜呑みにしました。
だから
私は
夫の整体にいらした方の
施術時間が長くなればなるほど
「なぜ時間内に終わらせないのか」と
夫に
苛立ちました。
私は
欲深かったのです。
夫は
昔から
よく言っていました。
「時間は関係なく
来て下さる方が
納得することが
大切なんだ」と。
夫は
与える人でした。
情報も
言葉も
行いも
想いも
存在を通して
与える人でした、
これまでも
そして
今も。
それを
1番近くで学ぶように
神様が
パートナーとして
ギフトして下さったように
思います。
なんで結婚したんだろ...
謙虚さを学ぶために
人としての在り方を学ぶために
愛することとは何かを知るために