私は


どうしても諦められなかったようです。







そして


私が


諦められなかったものが


多数派の人にとっては


全く


関心がなかったり


あるいは


表面的な解釈で終わったり


するようでもありました。











人は


み~んな


幸せでありたいと思い


幸せを求め続けているにも関わらず


なぜ


自分というものを


探求しないんだろう...。










私は


諦められなかった...。


どうしても...。













幸せな人は


そんなことを


考えないよ、


そう言われても...





誰か1人でも泣いていたら


私の心は


幸せを感じることはできなくて


(泣いている人から


影響を受けている証でもあるけど)





だから


何があったとしても


幸せであることとは


どんなことだろう、と


思い続けてきました。









体験を重ねていくたびに


その都度


私に判る段階のことが


やって来てくれました。







思考も感情も


“私”ではなかったことが


感覚として


すとんと


落ちたときの衝撃は


文字には


ならないです。








そして...





私は


驚きショックを


受けることもありました。





これは


本や


上江洲義秀先生から聞いた


ある物語です。








在る場所に


古い木箱に座った


物乞いが


野球帽を差し出して


通行人が通るたびに


「下さい。下さい」と


物乞いをしていました。





とある日


ある人が通ったときも


同じように


野球帽を差し出して


「下さい。」と


物乞いをしたところ





「私は


あなたに


あげるものは


何1つ


持ってはいない。


だが


あなたが座っている木箱に


あなたは


何が入っているのか


あなたは


知っているのか?」と。




物乞いは


こう答えました。


「私は


何十年も


この木箱に座っています。


取るに足らない


古い木箱です」と。






とある人は


こう言います。


「では


その木箱を開けてみて


何が入っているのか


見てみたら良い」と。





物乞いが


恐る恐る


木箱を開けてみてみると...


その中には


金銀が


溢れんばかりに


入っていたというのです。













このストーリーを


始めに聞いたときは


私は


「私には関係の無い誰か」の話でした。





ところが


私は


自分を知ろうとするうちに


ある日


この物乞いが“私”だったと気付き


愕然としたのです。




それは


心の貧しさでした。





誰かから認められたい、


誰か優しい笑顔を向けて欲しい、


肩書きが欲しい、


安定した仕事が1番だ、


誰かより凄いと思われたい...


幸せが欲しい!!!





与えることもせず


私は


受け取ることばかりを


ずっと


求めていたのです。









目に見える


外側の世界にばかり


意識がいき


自分の内側に


静かで


優しくて


温かなものが


既に


在ることを知らずに


「下さい。下さい」と


求め続けて


何十年生きてきたんだろう...。






それが


偽我だということも


知りました。





偽我は


常に


充たされ無さでいっぱいだから


いつも


何かを求めていきました。


人の中に在る


この考え方や思いクセが


私は


世界中にある


戦争の源だとも


ハッキリ感じました。




資源が不足するから


他国よりも


資源を確保したい。


だけど


資源は


“限りある”という思い込みから


資源を求めて


国が戦争を始めてしまう...。




私の中に在る


そんな思いや考え方が


この戦争が存在する世界を


創っていたんだ...




政治家が悪い、


企業が悪い、


そんな非難批判を


私が


できるわけがない、と


思いました。




非難批判する思いも


自分と他が存在するという


勘違いから生まれたもので


自分と他の2者がある限り


本当に幸せなんて


やって来ない...。



非難批判の波動は


自らから


放たれたら


必ず


自らに


返ってくるから...。









どうしても諦められなかった...。






写真で


アフリカの飢餓の子ども達を見たとき


涙が溢れてきて...


この世界を平和にする、


だから


教師になるって


思ったことを...。




組織人としての


教師は


辞めてしまったけど...




私は


きっと


身を以て


伝えていけるように


いろんな


体験を


してきたんだと


思うのです。


そして


だからこそ


今も


体験しているんだと


思うのです。






教科書では


人を幸せにはできない。




人が幸せであるには


“自分”を知る以外には無くて


自分を知るには


だからこそ


他者を通して


気付きを深めていくんだと


思います。






自分を知るとは


なんて


奥が深いのでしょう...。







そして


いつかは


だれもが


“自分を知る”ような


意識を持ち始めるだろう...


その時


今より


世界は


明るくなっているんだろうと


思います。










世界が


光に包まれますように✨✨✨




熊本県合志市野々島


なぎの木整体


MOE