その日の私は
感情に主導権を
握られていました。
切り換えよう
切り換えよう
感情を
切り換えよう...
そう思っても
なかなか
できなかったんです。
思考も
感情も
理性も五感も
ニセモノだと
実感したのに
感情も思考も
何度でも
出て来るのです...。
なるほど...
だから
お釈迦様も
瞑想の中で
「悪魔よ、去れ」と
言い放ったくらい
自分自身の中に在る
そんなニセモノの存在が
いかに
大きかったのかを
今に
伝えています...。
その時の
夫は
神の対応でした。
同情することなく
共感することも無く
ただ
ただ
黙って話を聞き
「不安はニセモノ。
今が完全。
それだけに意識したら
不安は無くなる」
そう言った後
「大丈夫」
そう言っただけでした。
偽我は...
自分の想いに
相手を引き込もうとします。
辛いから
優しい言葉をかけて欲しい
とか
苦しいから
あなたが何とかしてよ
とか
とにかく
周りを巻き込み
悲劇のヒロインの劇を
続けたがるのです...。
それが
幾転生書いてきた“シナリオ”。
涙を流す私に
夫は
淡々と対応し...
私は
一人きりにされ...
私は
私自身で
“切り換え”をするしか
なかったのです。
“切り換え”
波動が
高まっているということは
自分の意識することが
より早いスピードで
増幅していき
現実になっていく...
ということ。
だからこそ
“切り換え”が
大事なんだと
痛感します。
感情が
溢れてきたのも
種が内在していたから。
種が
芽吹いて気付けたなら
解放したということ。
来世に
持ち越さなくて良かった、と思って
今生こそ
今までの人生の宿題を正しく解き
本当の意味で
自由になる...。
そう解釈し
明想していきました。