かつて
私に
こう言った人がいました。
「もえちゃん
光が強くなると
闇も濃くなるからね。」
もしも
私が
愛の法則
慈悲の法則
宇宙の法則を
知っていて
なおかつ
それを
自分のものとして
身に付けていたなら
絶対に
受け入れる事は
ありません...
でした。
まだまだ
学びの途中だった私は
その言葉に
不安を感じ怯えました...。
そして
“思いは現実”の通り
私の中には
いつも
黒いものを感じながら
日々を
送ってしまったのです。
その時の私は
瞑想の時には
“キレイなエネルギーを
取り入れて
身体の中にある
ネガティブな感情を
全て吐き出します”
そうイメージしていました。
ホンモノを知らないと
ニセモノを
見分けられないのです。
学び続け
明想を続け
日常生活で
徹底して
自分の思いグセを
観ていくうちに...
光が濃くなるなら
闇は
同時には
存在できないことを
感じました。
光には
光が
闇には
闇しか
存在しない。
今の私は
明想するときには
“愛というエネルギーを
身体に充分に
満たされていきます。
身体から
愛というエネルギーが
放たれていきます。”
そんな意味合いで
呼吸をします。
自分を
ネガティブだと
僅かでも
認めてしまうなら
いつになったら
光そのものに
なれるのでしょうか。
ネガティブを
一点でも認めるならば
不安、 心配、 迷い
怖れ、 怒り、 嫉妬
などの感情は
あっという間に
大きく膨れ上がり
暴れ馬のようになって
理性も思考でも
押さえが
効かなくなりました。
私から
どんどん人が離れ
私は
“人ってこんな風に
波が引くように
いなくなるんだ”と
悲しくなりました。
ところが
それこそが
素晴らしい
贈り物に
なったんです。
ニセモノには
ニセモノが
簡単にくっつき
簡単に離れます。
だけど...
ホンモノは
穏やかに
さりげなく
傍に
あり続けることを
知りました。
徹底して
自分を見つめ続けた結果...
ようやく
思考も感情も五感も
ニセモノだと
実感することが
できたのです。
感情を思考や理性で
また
理論・理屈や技法で
なんとか
できるなんて
不可能だったんです。
それを越える
内在の神様しか
全てをなし得なかったんです。
毎日
毎日
毎日
毎日
毎日
明想し続けました。
今も
明想しています。
今も
学び続けています。
私が
1番感動したのは
苦しみや悲しみや不安などが
“私では無かった”ということでした。
“私は光”を
感じ始めて...
やっと...
“私を生き始めている”ように
感じています。
それは
1日でなし得たことでは
ありません。
つまづき
転び
自分の至らなさに涙し、
感情的になっては
夫に暴言を吐いた時もありました。
それでも
諦めきれなかったのは...
私は
生まれてきた意味
生きている目的を
どうしても
どうしても
知りたかったから。
そして
その根底には
苦しみから
解放されたかったからでした。
そして
私の体験したことから
学び得たことが
必ず
必要な人のハートに届き
一歩を踏み出す
きっかけとなっていくと
私は
信じています。
文字は
エネルギーとなり
命を宿して
使命を果たしていくから...。
ニセモノに
これまで
たくさん遭ってきました。
じゃあ
ニセモノの存在する意味は??
ホンモノを
感じるためでした。
そして
ホンモノは
様々な体験を経て
最後にやって来るのです。
それを
私に教えてくれたのは
上江洲義秀先生でした。
世界が
光に包まれますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE