言葉を
1つ聞いても
同じ言葉であっても
人によって
意味合いが
全く
異なっています。
同じ出来事でも
人によって
意味合いが
全く
異なっています。
はじめ
言葉を発したとき
相手も
同じように
理解していると
思っていました。
ところが、
よくよく聞いてみると
ところどころ
距離感が
あったのです。
1番
伝えたいことも
伝わっていませんでした。
それから
学んだことは
同じ言葉や出来事でも
その人の
それまでの
幾転生
生まれ変わりをする中で
身に付いている
感じ方や
捉え方のクセが
今生
現れていたから、です。
“違い”があって
当たり前であり、
そこに
良い、悪いは
一切ありませんでした。
その“違い”に対して
自分と同じようにならないことを
不満に思うのか
学びにして
自分の考え方や感じ方に
広がりと深みを増していくのかは
まさに
人それぞれなんだと
思いました。
もがきあがき...
私は
とにかく
自分自身の
考え方や感じ方のクセを
修正していきました。
さらに
明想を
毎日
行いました。
ある日
ふと...
夫ほど
愛の深い人は
この世界にはいない...
と
感じました。
夫の日々の姿に
神様を
観たのです!!!
!!!!!
どんな状況でも
不平不満を言わず、
目の前にあることに
心を込めてやり抜き、
自分自身のことより
私や子ども達やクライアントさんを
大切にしていました。
夫は
今を生きていたので、
私に対して
不平不満愚痴は
一言も
言いませんでした...。
私の意識が
変わった瞬間から
夫に対する
絶対的信頼感が
生まれました。
そうなんです...。
誰かや何かが
悪いんじゃ無い...
自分の意識の在り方が
自分の世界を創り出し、
その中で
自分が勝手に
もがきあがき
苦しんでいた、だけ...
だったんです。
そして
意識は
波動として
共鳴しあって
必要な出来事が
起こっていたんです...。
それさえも
“学び”として
必要だったんです。
この世界には
“悪い人”は
いませんでした。
もし、
そう見えるなら
自分の意識の在り方は
どうなんだろうか、と
振り返るきっかけに
していき
自分自身を磨いていく...。
“悪い”というモノサシこそが
偽我で
完全な世界(意識)には
良い、悪いは無いのであり、
良い、悪いが消えたとき
心の凪が
姿を現したのでした...。

