もう自分事ばかりを考える時期じゃ無い





この言葉は


上江洲先生や


夫が


度々


口にしていました。






今朝


この言葉が


内側から


沸き起こりました。








もう自分事ばかりを


考える時期じゃ無い









私にできることは


何だろう...










そう思ったとき


文字に想いを乗せたら


個人を越えて


文字は“命”を宿し


必要な人にとっての


“光”になる...


でした。














波動が高まりゆく中


目に見えて


内側のものが


外側に現れるように


なりました。



しかも


内側で思っていたことが


外側の現象として現れるのが


なんて


早いのでしょうか...。










そうすると


こんなことを


思ったりしたものです。







なんで


同じようなことで


悩んでいるんだろう、と。








まるで


自転車の車輪のように


同じような悩みが


月日を経て


何度も何度も


繰り返し


やって来ることに対して


自分の不甲斐なさと


不安や焦りを感じたことが


ありました。













ところが...













この世界が


愛の法則や


慈悲の法則から


成り立つ視点から


観ようと


意識した時に


1つのことに


気が付きました。













何度も何度も


同じようにやって来る


悩みや不安や焦りだとしても


以前よりは


とらえ方に変化が起こり


前なら


誰かのせいにしたり


文句を言ったり


泣き言を言っていた


自分が






「この出来事には


 どんな学びが


 あるのか」



とらえ方が


明らかに


変わったことに


気付けたりします。









そして...


人は


本来は


光そのものであるものです。


その光を放ち始めると


光のまぶしさに対して


不当な想いをぶつけてくる人が


必ず


現れます。


(実際にそうでした。)


闇(病み)を持つ人は


ねたみやひがみや恐れから


光を放つ人を


攻撃してきます。


それでも


光であり続ける


本当の強さを育むために


まずは


自分自身の内側にある


あらゆるネガティブな感情に


打ち勝つ必要があるのだと


私は


解釈しました。


内側さえ


整えば、


外側が


どうであろうと


影響をうけることは


ありません。





そう解釈すると


自分自身の内側にあった


底深いネガティブは


自分が本当の強さを持った


光であるために


存在してくれていたんだと


感謝に変わるんです。


そう思うなら


ネガティブも


ポジティブも


実は無かった...。


あったのは


愛の法則や


慈悲の法則の働きによる


無限の愛だけだった...。






だけど


エゴまみれ(欲)だった


自分には


その(エゴの)フィルターからしか


見えなかったから


愚痴や不満ばかりで、


しかも


その愚痴や不満を


思えば思うほど


言えば言うほど


その波動が


自らに


返ってくるという


サイクルに


はまっていたんです。


そのサイクルさえも


神様が


「気付きなさい。


 その考え方


 その想いや言葉は


 愛の法則や


 慈悲の法則から


 外れてますよ。」



メッセージを


くれていたのです。










計り知れない情報が


溢れかえり


いとも簡単に


「楽になれる」


「幸せになれる」



文字が躍っていますが


私は


自分自身の


正しい努力と


強い意志と


自分自身の


内側にある神様を


信じ抜く想いからしか


真の幸せは


築けないことを


体験から学んできました。


そして


学びに終わりは無く


生涯


学び続けていくことも


必要であり、


体験から


学び得たことは


かけがえのない宝となり、


誰かの光になっていくと


思っています。







できることを


想いを込めて行う...





今だけが


人に与えられた


創造可能な瞬間だから。





そう思いながら


今日も


つれづれに


想いを綴ります。







世界が

光に包まれますように✨✨✨




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE