学びの場...
なぜか
それが
私の中に
ずっと
あり続ける...。
自然の中に
建物があり、
畑があり
近くには
川が流れている。
お昼には
自分達で
育てた野菜をメインにして
協力しながら
ご飯を作っていく。
教育プログラムなるものは
ありません。
教えません。
大人の観念概念を
植え付けず、
自然の中で
体験を通して
仲間との関わりから
生きていく中に
本当に大切なことを
感じながら
共に育っていく場所。
そうすると
「わがままな子になるのでは?」
とか
「学力がつかないのでは?」
とか
これまでの日本の教育を受けてきた
私達大人は
すぐに
思ってしまいます。
「わがまま」って
なんでしょう。
そう思うとき
その想いがフィルターとなり
子どもは“わがままな姿”を
演じていくでしょう...。
だから
意識が
高められた大人こそ
学びの場には
必要不可欠です。
子どもは
“完全”です。
完全としてとらえて
そう接するならば
子ども達は
本来の素晴らしさを
発揮していくのでしょう。
かりに
こんな話を
有名大学教授が
提唱するならば
多くの人が
「ぜひ、うちの子も」
というかもしれません。
それこそ
肩書き
地位
名誉などの
外側によって
判断しているので
“大切なこと”を
見誤る可能性が
高いように思います。
私が
大切にしたいのは
子ども達が
本能的に持っている
「なぜ生まれてきたの?」
「なぜ生きているの?」
それを
自然の中で
体験を通して
自ら
学んでいくことです。
だから
そこにいる大人は
自分自身も
学ぶ姿勢を持ち続け
共に
成長していこうとする意識が
必要となるように思います。
自然の中にいる中に
やがては
知的好奇心も生まれてきて
「文字を書いてみたい」
「数を学びたい」
「音楽を表現したい」と
内側から沸き起こったときこそが
その知識を伝えるタイミングだと
思うのです。
知的好奇心があるのなら
教える以上のものを
吸収していくでしょう...。
私は
子ども達に
教えませんでした。
そして
自然の中に
身を置くことを
大切にしてきました。
僕の祖父の家の近くには
竹林があります。
その竹林には
細い竹が
沢山生えていて
葉の隙間から出る光や
鳥のさえずりや
風の音などが
とても美しく
時を忘れてしまうほどです。
今回の作品は
それをイメージして
作りました。
スイッチを入れると
竹の間から
ライトが光を照らすので
夜には
よいインテリアになります。
私は
こんな感性を育んだ
自然に感謝すると共に
子どもの内なる素晴らしさに
ただ ただ
驚きます。
昨年末の話です。
明想中に
こんなビジョンが
見えました。
モノクロの
飢餓状態の子ども達から
鮮やかな
ふくよかな姿の子ども達に
変化していく
ビジョンでした。
その時
私は
涙が止まらずに
ただ ただ
泣いていました。
今
分かったように思います。
一方的に
教え込まれ
息苦しさに包まれていた
子ども達が
これから
劇的に変わっていく世界では
本当に学びたいことを学び
心が育まれていく...
ということなのかもしれません。
必ずできる
学びの場。
そう
確信しつつ
今日1日1日を
大切に
過ごしていこうと
思います。
世界が
愛に包まれますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE
