それは
毎日を
泣き暮らしていた私に
夫が言った
言葉でした。
「そんなに苦しいなら
ここに出して見せてみろ」
目に見えるわけがない
だけど
あるんだ!
同じ問答を
何度も何度も何度も
繰り返し
私は
泣き疲れて
やがて
眠りに落ちました。
苦しみは
エネルギーです。
そのエネルギーが
個人を
動かしています。
言葉として
行動として...。
夫は
さらに
言いました。
「苦しいって
分からないんだよね。」
その時
私は
夫に対して
どんな言葉を並べても
到底
理解はしてもらえないことが
ハッキリと分かりました。
私を
救うには
“私”しか
いないことを
突き付けられました。
もう
一時的な
即席の癒やしでは
私を
救えないことも
分かっていました。
私は
“命”を
かけました。
すべてを
“神様”に
ゆだねたのでした...。
私は
自分の思考のクセを
見つけていきました。
すると
私の中に
”被害者意識“があることが
明らかになりました。
私は
被害者意識という
思いグセを
ことあるごとに
書き換えていきました。
さらに
言葉についても
自分にも他者にとっても
耳にして
温かみのある言葉を
口にするようにしました。
そして
行為については
義務的に事を為すのは
一切止めて
一つ一つを
まるで
赤ちゃんを扱うかのように
想いを込めて
行い続け増しました。
それを踏まえて
明想に
取り組んだのです。
苦しみというエネルギーは
煙みたいなものでした。
苦しみは
私の偽我が作り上げた
幻だったと
ハッキリと
明想で見えました。
さらに
私は
自らについて
神様が作り上げた
大切な存在だと分かり
自分の意識に
大きな変化が
生まれました。
エネルギーが
変わりました。
今
夫が言います。
「もえ
急展開で
もえは
変わったね。」
苦しみが
見えなかった夫にも
私の変化は
目に見えたようでした。
それでも
夫には
分からないでしょう...。
”自分“を捨てて
神様に身を委ねて
生きている幸せを...。
ちなみに
神様とは
“愛”です。
神様とは
“光”です。
神様とは
“命”です。
だから
生まれたての赤ちゃんは
命そのものとして
あんなにキラキラしているんですね。
苦しかったのは
“自分が”
“自分が”の
偽我に
囚われていた証でした。
でも
それさえも全ては学びで在り、
今に至るには
必要なプロセスだったのだと分かると
“神様の完全さ”に
おどろくばかりです。
