小さいとき


折られた花を見て


「痛いね。痛いね。」と


泣きそうなくらいに


悲しくなったことがありました。




小さいとき


誰かが叱られて


まるで


自分が叱られているかのように


苦しかったことがありました。




自然の中にいると


自分もその中に溶け込んでいるように


感じていました。






それが


いつしか


学校教育の中に組み込まれ


知識を詰め込み


テストの結果で


クラスメイトと


競争するようになった私は...






折られた花を見ても


何も感じず、






誰かが叱られていても


「私で無くて良かった」と


思うようになりました。



自然の中にいた私は


引っ越しにより


横浜や海老名などの都会の中で


お金と物の魅惑に


取り憑かれていきました。


小学校の話です。





今、思うと


全てと一体化していた私が


自ら“全て”と離れた所から


“私が頑張らなきゃ”という人生が


始まったのだと分かります。


それまでは


神様と共に


生きていたのに...。





何十年経って



また同じように


折られた花を見て


花を想い、



誰かが叱られていたら


「どうぞ全ての人に安らぎを」と祈り




自然の中に身を置きながら


自然のハーモニーの一部になるとき




これまであった


全ての苦しみも悲しみも


必要として起こり


その体験は


私達が


本当は


素晴らしい光であり


かけがえのない


命であることを


気付く(実感)ために


どうしても必要だったのだと...








なぜ


そう言えるのか...。





私は


ヒーラーになりたいと


教師を辞めました。


まがりなりにも


クライアントさんに恵まれたのも


束の間で...


コロナウィルスをきっかけに


波が引くように


私は


一人になりました。



私は


自らの内側を見続けました。


経済的不安や怖れ、


必要とされない自分の無価値感、


先の見えない未来への恐怖...


内側から出て来るのは


もうネガティブだらけでした。


起きている間


その思考がグルグル回るモンスターから


逃れたくて


私は


とことん眠り続けました。


寝て寝て眠り続け...


それでも


起きても世界は


変わっていませんでした。



なんという世界だろうか...。


落ちるところまで堕ちた私を


救ったのは...


実は


真理という学びでした。



自分の思いが


自分を地獄に


引っ張っていたことに


気付けていなかったのです。



私は


思いを


言葉を


行いを


改善し続けました。


それが


神様が想う想いなのか


神様が言う言葉なのか


神様が為す行いなのか



そして


明想を続けました。




約半年...


そして


今も


ずっと続けています。




私に現れたのは


心の穏やかさという


幸せでした。




私は


派遣に行っていますが


私は


幸せです。




派遣の仕事が


毎日


学びであり


楽しいのです。




先日


こんな事がありました。




パートの方に


「派遣の人は


 休憩室を使ったらダメなのよ」




派遣が


初めての私は


全く何のことやら分からず


でも


言わんとすることは伝わったので


「分かりました」と


言いました。



この時


私は


神様からギフトを戴いていたことに


すぐに


気付きました。




私は


パートの方から


差別的なことを言われても


全く腹を立てることも無く


相手を責めることも無く


自分を被害者として想うことも無く


私は


全く動揺さえしなかったのです。





その時に


ハッキリと


分かりました。




地獄だと思うほど


自分の内側を見つめ続けた


あの日々が


実は


私を


本当の意味で


強くしてくれていたことを...。




そして


この世界に


良いも悪いも無く


全ては


完全だと言うことを。





今、


私は


幸せです。


この幸せを


どう文字にしたら良いのか


どう文字にしたとしても


表現できない


内側からの幸せを


誰が目に観ることが


できるのでしょうか。



職業によって


人は


幸せになるのではなく、


裕福さによって


人は


幸せになるのではなく、




人は


自らのハートを清らかにし


他者のために


どれだけ与えることができるかで


幸せになれることを


私は


体験から学びました。




そして


その過程において


私を導いて下さったのは


間違いなく


上江洲義秀先生であり、


夫であり


子ども達でした。








世界が

至福でみたされますように✨✨✨





熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE