人が怖いのは
何故?
それは
”自分“と”人“は違うという
分離感があるから。
分離感とは?
自分の心の中に在るもの。
それは
結局...自分の中に分離感があるとは
自分のことが嫌いだということ。
良い自分と悪い自分
できる自分とできない自分
正しい自分と不正ある自分
常に
できる自分が
できない自分を
判断し、裁き
自分で
自分を
傷つけ疲れ果てている。
被害者意識があると
周りの人に対して
恐れを持ち
身構える...。
その身構えの波動は
守りと同時に攻撃でもある。
誰かが
何かを
言おうものなら
被害者意識は
”被害者“というフィルターでしか
解釈しないが故に
言葉を放つとき
「なんで、いつも私を責めるの」
ということになる。
そして
不要に
自己防衛する
言葉を並べる。
その自己防衛の言葉が
時として
人を傷つける。
しかも
傷つけていることにさえ
気付けない。
なぜなら
被害者意識だから
”傷ついているのは自分“だと
勘違いしてしまっている。
被害者意識のある人の波動は
とても強力で破壊的だ。
相手のことを
考える余裕は
全くない。
さらに
この強力で破壊的なエネルギーは
自らの心と身体さえも
壊していくのである。
なぜ
そう言えるのか...。
散々
体験してきたからだ。
だから
文字で
言葉で
表現できる。
ただ
人は
そんな体験を通して
学びを得る。
変わりたい
誰か
助けて欲しい...。
始まりは
この想いからだった。
想いは実現
という法則通りに
“変わりたい”想いに対して
変わるべく
状況が変わり始めた。
私は
どうやら
この世界に生きるにあたり
法則から離れた生き方を
していたようだ...
法則なんて
知らなかったし
誰も
教えてくれなかった。
私は
自分の思いグセに気付き
それを
修正し、
さらに
想い
言葉
行為について
意識を高めていきながら
明想を続けていった。
明想は奥深い...。
それは
言葉で簡単に
表せるものではないが
少なくとも
肉体的感覚や
思考や
感情
理性が
“自分”ではない、と
感じられる...。
あ~
今までの全て
観念概念が
どれだけ
自分を苦しめ
周りをも傷つけていたか...。
自分の意識が
変わるたびに
自分がどれだけ
素晴らしい存在かに
感じられるようになり、
と同時に
周りもどれだけ
素晴らしい存在かを
感じられるようになった。
~自他一体~
自分も他者も
一体であることも
学んだが故に
実感として
理解できるようになった。
私に
大きな気づきを
くれた人の言葉を
最後に記したい。
「被害者意識で
生きたらダメだ。
豊かさの中で
生きる、と
決めるんだよ。」
世界が
愛と光に
包まれますように
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE