高校時代の友と
1日の終わりに
“感謝の気付き”を3つ
お互いにシェアし続けて
250日を
過ぎました。
友は
睡眠薬や
精神安定剤を
使わなくなり
そして
「自分の弱さが薬を必要にしていた」
気付きを得ました。
(あくまでも
これは
私達の気付きであり
薬を
否定しているわけでは
ありません)
250日も
“感謝”を続けていると...
時には
“感謝”を打てない日も
ありました。
それは
心が波打つ日でも
ありました。
“感謝”を記すことが
嘘になりそうな
強がりになりそうな
そう
感じる日が
確かにあったのです。
でも...
神様は
素晴らしいです。
意識の変化は
たくさんの
気付きとなって
現れてきました。
心が波打つ日...
いわゆる
苦しかった日ですが
実は
その最中にあるときこそが
感謝だったんだということ。
今が
幸せであり
過去に
苦しみがあったなら
“あの苦しみに感謝します”
なんて
誰にでも
言えるんです。
そうではなく
苦しみのまさに
その最中にあるとき
どれだけ
感謝できるかに
気付けるのか...
なぜなら
その苦しみこそが
自分のあるべき想いや
行動の仕方や
進む道を
示してくれていたのだと
納得したからです。
あ~
私は
“感謝でさえも
自分の都合で
良い、悪いと
ジャッジしていた”と
気付きました。
良いも悪いも無い世界、
あるのは
ただ
完全のみだった...。
たくさんの本を読んで
知識を得ても
体験して
自らが感じなければ
実は
何も
分かっていないことも
よく分かりました。
そして
知識だけを元に
語る人と
体験を踏まえて
語る人とは
その話には
開きがあります。
そう
体験した人の話は
ハートの奥に響き
時に
涙が出るんです。
体験してみる世界は
知識だけの世界とは
全く
別のモノだからです。
私が
このことに気付いた日
沢山の本が
ギフトとして
届きました。
その本に
私が体験してきたことを
凝縮したかのようなことが
綴られています。
まるで
答え合わせをするかのように...。
感謝を続けてきた結果...
私は
断言します。
この世界には
神様が
存在することを...。
それが
私にとって
ブレることの無い
“幸せ”として
姿を見せ始めたのです。