誰かを救いたい...
そう思う人に
たくさん
出逢ってきました。
これは
私が体験した
話です。
※目に見えない話に
不快な方は
ご遠慮ください。
ある夏
今から
約4年くらい前...。
私は
夫と共に
長崎に向かっていました。
途中
トイレ休憩で
道の駅に止まりました。
その近くに
無縁仏を祀るお墓が
あったのです。
たまたま...
2人のお坊さんが
そのお墓の前で
お経を唱えていました。
ところが
私は
感じました。
お経が
届いていないことを...。
私は
何も知らないままに
ただ
手を合わせて
“’ありがとう”を
唱えました。
穏やかになるように
安らかになるように
ところが
その日の夕方くらいから
身体が
とても
重くなりました。
頭も重たいのです。
まだ
教師をしていた私は
仕事を終えた後に
夫に
身体について
話をしました。
夫の施術が始まった
その次の瞬間
ふわっ...
私の身体は
一気に
軽くなりました。
と同時に
夫の両腕は
ズシンッ!
重たくなったのです。
それは
目には見えないけれども
確かに
存在しているものがいる
証でした。
自分のことを
自分でできない人が
他者を救うなんて
不可能だということを
身を以て
学んだことでした。
それは
肉体を持つ人を救うにしても
同じ事。
いくら
言葉巧みに
伝えようとしても
自分のハートには
嘘はつけません。
そして
そのハートは
波動という形で
周りにも
伝わってしまうので
嘘は付けないんです。
本当に救う人は
“救ってあげるぞ”
という
力みが無いです...。
夫のように...。
さらに言うならば
本当に救う人は
肩書きも求めず
他者の評価も気にせず
神様から
隠されているかのように
自然の中に
たたずんでいます。
だから...
きらびやかなものや
派手な情報に
飛び付く人には
絶対に
分からないように
なっていることも
だんだんと
分かってきました。
ホンモノを知ると
ニセモノがよく分かります。
だから
これまで体験したことは
全てが必要だったと
よく分かるのです。
ホンモノは
謙虚です。
たくさんの情報が
溢れすぎる現在だからこそ
頭でっかちになり
知ったつもりで
実は
何も身に付いていないことを
知りました。
体験こそが
最大の師。
見えるものも
見えないものも
共に
学びを深めるためには
大切なんですね。
世界に
たくさんの愛が
あふれますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
MOE