1人でいるなら

気付きも学びも無い。

“自分”さえ

きっと

分からない。

だから

他者がいる。




他者を通して

自分を知る。





  
腹が立つ...




なぜ?





相手が悪い




いや

そうじゃない。




自分の内に

相手と自分と言う

分離感がベースにあり

そして

相手を裁くから

腹が立つ。

自分の中に在る

気付かない

思い込みに

気付くように、と。

その思い込みは

“愛”とは

かけ離れているよ、と。




もし

自分が

愛そのものならば

腹が立つなんて

絶対にない。










ゆとりあるとき

我が子のケンカさえ

微笑みながら

見ることができても



ゆとりがないときには

我が子のケンカに

怒りで押さえつけようとする。




「いい加減にしなさい!!」と。






同じケンカ。





だけど

ゆとりがあるかないかで

心の歌から沸き起こる感情は

180°も違う。





このゆとりは

愛と言い換えてもいい。





自分に愛があるのか

愛がないのかを

他者が教えてくれていて


どんな時でも

誰がいても

愛であり続けなさい、と

メッセージのように

感じるのです。




まさに修行。





この修行を

山や洞窟にこもって

瞑想したり

断食したりする意味では無く



正する


だと

私は

教わったとき

とても

しっくりきました。







時が過ぎると

分かることも

たくさんありました。



他者は

間違いなく

学びと気付きを

与えてくれる

大切な大切な

存在です。



そう思えて

相対することができたとき

目に映る

他者の印象は

どんどん

変わっていくように

思います。






あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨




熊本県合志市野々島

なぎの木整体

MOE