小学校から中学校へ...
成績が
順位になって現れるため
私は
目標設定を
いつしかするようになりました。
〇〇点を取らなければ
目指す高校への
進路が難しかったからです。
中間テストは〇位で
〇〇点以上を目指す。
それは
私に
当たり前として染みつき
周りの誰もが
ライバルでした。
やがて
高校から大学へ...。
そこにも
目標設定して
臨みました。
やがては
教師の道を目指すことも
教員採用試験に合格するという
目標設定でした。
自分が
教師になると
今度は
児童生徒の目標設定を
する立場になりました。
それは
私にとって
自然なことであり
全く抵抗が無かったのです。
人生において
次々に
目標設定をしていきました。
〇〇才までに結婚。
結婚したら
〇〇才までに子どもを授かる。
子どもが生まれたら
乳児検診の度に
標準値に達しているか
体重や身長や胸囲や頭位など
諸々の数字が
気になりました。
子どもが生まれたから
次は
マイホーム...。
次は
次は
次は
次は
次は?
目標達成したときは
良いのです。
幸せや達成感がありました。
しかし
それは
束の間の幸せで
私は
自分の心の中に在る
虚しさのようなものを
満たそうとして
さらなる
目標を探していきました...。
夫から
言われました。
「目標設定や夢が
今の自分に
幸せを感じさせるなら
それは良いと思う。
だけど
目標設定や夢があることが
なんで達成できないの?と
自分自身を否定したり
今が幸せじゃないならば
目標設定や夢は
一旦棄ててみたら?」
それは
目標設定し続け生きてきた私にとって
身を裂かれるような感覚でした。
コンパス無しに
大海原を航海する
船のようでもありました。
ところが...
私にとっては
目標設定することこそ
“今の私は不完全”と
自らに対して
言っているような
ものでした。
目標や夢はあって良いんだと思います。
楽しかったり
ワクワクするのなら。
でも
目標設定し
目標達成しなければ
自分自身には
価値が無いと感じるなら...
大切なことは
偽我の自分では無く
真我の自分は
本当は
何を必要としているのか、を
知ることだと
思います。
ただ
“真我”を知る人は
極僅かなのです。
真我とは
光そのものであり
愛そのものの私達です。
これは
宗教ではありません。
これを
私に教えてくれたのは
夫でした。
自分の捉え方や考え方のクセが
自分を苦しめます。
そして
自分の捉え方や考え方のクセに
自分1人ではなかなか
気づけないのです。
だから
人は
他者を通して
自分自身を知ることと
併せて
自分自身で
より深い自分自身の真我を
感じることの両方が
必要になります。
目標設定をやめて
身を委ねて生きていく...
感謝の気持ちと共に。
その先に
何があるかは
分からないけど
遙かに
心は
自由になるように
感じています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル気功師MOE