不登校の子ども...

かつて

小学校担任だった頃

受け持ちの児童の一人が

不登校でした。

4月

初めの2週間は

学校へ

来れていました。

ところが

3週目から

不登校となったのです。

引き継ぎには

前年度も

不登校だったとありました。


家庭訪問しました。

児童は

笑顔で

私を迎えてくれました。

ちょうど

時期的にも

全ての児童の家庭訪問だったのです。



「明日は学校へ行くからね」

児童が

自ら

そう言ったことで

私は

安心しました。









ところが...







翌日

その児童の欠席の連絡が

入りました。





ショックでした...。













しかし

私は

その後

自らうつ病となって

気付いたことがありました。





“あの子が言った

「明日は学校へ行くからね」の想いは

嘘じゃない。

ただ

行きたくても

行けないんだ。

そして

その気持ちの間で

その子ども自身が

1番

苦しんでいた”

ということを...。






みんな、学校へ行ってる。

だから

自分も行かなきゃ。 




でも

学校へ行くと

周りに気を遣い

自分が

どう行動して良いのか

分からない...。

自分の意図したことは叶わず

周りに合わせた

集団行動は

児童にとって

どれだけ窮屈だったのか。









思うと

その児童は

休み時間

いつも

私の傍に来ていました...。







そして、

保護者も

どれだけ

その子どものことを

想っていたのか...。




それは

家庭訪問のときの

雰囲気から

痛いくらいに

伝わってきたものでした。






私が

大自然の中に

身を置いたとき

ハッキリと

そして

確実に

聞こえたことは

在るだけで愛なり

でした。





それは

存在しているだけ

ただ

それだけで

愛そのものである...

という意味でした。




その言葉に

私は

涙が流れました。



真実だと思いました。






思い返してみたら

我が子が

生まれた瞬間

確かに

その存在そのものが

愛だと

感じていました。



この子が

有名大学に行かなきゃ

幸せにはなれないとか


将来は

医者じゃなきゃダメとか


一切思わず

我が子が健康に育つことだけを

考えていました。




しかし

成長するにつれて

他のこと比べたり

周りから言われることを

親も子どもも気にして

1番大切な

“在るだけで愛なり”を

忘れたことから

苦しみが始まったように

感じます。





不登校だとしても

必要ならば

自らに合った学ぶ場所は

必ず

現れます。

必要な人にも

必ず

出逢います。


この世界には

目には見えないけど

大いなる存在が

確かに存在していて

必要なことしか

起こさないからです。




不登校を体験したからこそ

学びうるものがあった...

全てを受け容れたとき

そう言える日が

必ずやってくると思います。





今は

傷ついた心を

親子共に癒してあげることが

大切なように

思います。





日は必ず昇ります。






あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE