次男坊と
お風呂に入りながら
漢字を書いていました。
次男坊が
壁に書きました。
自分
“自分”って
自らを
分ける...
と表記するのですね。
今まで
意識することは
1回もありませんでした。
自らを分ける
人は
本来は
1つでした。
光そのもの
愛そのもの
だったんです。
ところが
成長するにしたがって
気付かないうちに
自らを分けてしましました。
それは
最初
親から愛されるために
始まりました。
「〇〇しなければならない」
「◇◇してはダメ」
本当は
やりたいこと
やってみたいことが
たくさんあるのに
「危ないから」
「人に迷惑かけるから」
「人目が恥ずかしいから」
など
親から禁止されたこと
あるいは
親から無理矢理するように
促されたことから
自分の意図しない行動をする自分が
作り出されたのです。
しかし
本来の自分も
確かに
存在しているのです。
ただ
成長するにつれて
後から作り出された自分が
人生のメインとなって
生き始めるようになりました。
やがて
本来の自分は
存在を感じにくくなりました。
本来の自分を
感じるときは
2つあります。
1つは
生きづらさを感じるとき。
もう1つは
人生を楽しんでいるとき。
生きづらさを感じるときは
本来の自分の想いを否定し
存在そのものさえ
時に
否定しているときです。
本来の自分が
「私のことをもっと見て」
と
必死に訴えています。
人生を楽しんでいるとき
周りの目を気にすること無く
本来の自分が
しなやかに
のびやかに
過ごしていると
神様とも繋がって
後押しをしてくれるので
あらゆることが
スムーズに流れていきます。
そして
人は
本来は
大いなる存在から
分離して
肉体を以て
産まれてくるので
本当は
大いなる存在=神様
そのものなのです。
実は
大いなる存在から
分離しても居なくて
後から作り出された自分をも含めて
本来の自分も
全部全部受け容れられたら
ず~っと
大いなる存在=神様=愛
として生きていけるのです。
ただ
多くの人は
それを
忘れているだけ...。
なぜ?
なぜ
忘れているの
それは
自分が大いなる存在=神様=愛であることを
体験を通して
実感することで
多く気付き学び
自分と
周りの人を
愛するという感動を
味わうためのようです。
だから
そこまで至ると
嫌いな人は
存在しなくなるし、
嫌なことも
ありません。
今
そのことに気付いた人が
増えてきています。
特別な人だけの話ではありません。
そして
このブログも
大いなる存在から
託された
メッセージでも
ありました。
自分...
自らを分けたものを
今度は
自らを以て統合するときが
やって来たようです。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル気功師MOE