いじめ
わずか3文字が現す
このことが
人生の中で
いかに
後遺症となるのか...
これは
いじめた人
いじめられた人
そして
学校教員に対して
私が
強く伝えたいことです。
私は
気付くと
2年おきに
全国各地へ
引っ越していました。
新しい土地では
かなりの確率で
“いじめ”に
遭いました。
言葉が違う(訛り)
とか
新参者だ
とか
服装が気に入らない
とか
理由は何でもアリでした。
私は
自分を守るために
いじめを受ける度に
いじめられないように
シールドを張るかのように
周りに好かれる自分を
作っていきました。
度重なるいじめに
シールドは
どんどん身に付いていきました。
さらに
両親からも
叱られないために
“よい子”という
シールドを張り
私は
傷つかないように
無意識に
“自分では無い何か”に
なっていたのでした。
物心つくときから
私は
本来の光り輝く私では無く
親の望む私になるように
シールドを張っていったことが
本来の自分である感覚を
忘れさせていきました。
それが
“生きづらさ”の
背景になっていたとは
思いもしなかったのでした。
“私は私が大嫌い”
それは
私が
シールドを張りすぎて
“自分”というものさえ
分からなくなり
シールド(鎧)だけで
中身(自分)が何も無い
人間だったから...
と
気付いたのでした。
教師は
いじめがあると
いじめっ子から話を聞き、
いじめられっ子に対して
謝るように
形だけの“和解”をさせますが、
その行為は
いじめっ子にも
いじめられっ子にも
さらなる
不快感を与えています。
その対応は
教師の自己満足にしか
過ぎないということが
私は
自らが教師となって
はっきりと
分かりました。
いじめられた結果が
その後の人生に
こんなにも
影響を与えていたことが
分かったのは
それを思い出すきっかけとなる
出来事があったからでした。
その出来事があってから
私の中での歯車が
変わり始めました。
なかなか
苦しみから
抜け出せなかったのでした。
頭では
分かるのです。
“苦しみの中”にいても
現状は改善しないことも
周りに対して
良い影響は
何一つ与えられないことも...。
自分が大嫌いの背景には
強い自己否定がありますが、
それは
周りから認められることによってでしか
自分が自分達を認められないと分かった
根源は...
自分を守るために
無意識に
と同時に
必死になって
シールドを張り続けた結果
“本当の自分”が
空っぽだったからでした。
たかが
子どものいじめではなく、
いじめの後遺症は
目には見えないほどの
生きづらさを
生み出していたのでした。
しかし...
生きづらさの根源に
気づけた
私の目の前に
素晴らしい贈り物が
姿を現しました。
それは
私が
シールドを張る前、
生まれたばかりの私が
感覚として
蘇ったことでした。
それは
“光そのもの”でした。
それは
“愛そのもの”でした。
その心の平穏と静寂さこそが
私が
何十年も
探し続けて
求め続けていたものでした。
苦しみの極まで
自らが追い込まれた結果...
私は
言葉にはならないほどの
自分の存在価値を
感じたのでした。
現状は
何一つ変わらないのです。
しかし、
私の内側は
光が眩いばかりに輝き
至福です。
そして
きっと
多くの人が
この想いを
強く求めているのだと
思います。
私は
この想いは
誰にでも
実現可能だと
今
感じています。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル気功師MOE