私が
自分自身を
見つめる中で
“何かの役に立っていないと
存在価値が無い”...
そんな想いから
なかなか抜け出せなかった時
私を1番苦しめたのは
自分のネガティブな思考が
ネガティブな世界を創るから
今すぐにでも
ポジティブな思考に
切り替えなければならないと
思いながらも
気持ちが
どうしても
伴わなかったことでした。
次第に
私の中に
焦りと不安が
心の多数を占めて
クライアントさんも
ほぼ
来ない状態となりました。
確かに
コロナウィルスにより
なぎの木整体だけではなく
様々なサロンで
クライアントさんが
激減していたことは
知り合いからの
情報として
入ってきていました。
私の不安と恐れは
“こんな私では
クライアントさんの前には
立てない”
ということでした。
なぜ
私は
私を
そんなにも嫌うの?
なぜ
なぜ
なぜ...
問うて
問うて
問うても
同じ所ばかりを彷徨い
それは
まるで
永遠に
続くかのようでした。
ふと
思いました。
“好きなことを
やり続けて
一生涯
楽しく生きていけるのは
特別な人だけではないのか”
2020
その人の波動によって
存在する世界の
二極化が進むと言われていたけど
私は
奈落の底に落ちた側の人間なのか...。
特別な人だけが
“自分らしく生きていけるのか”?
例えば
末期癌で臨死体験から
生き返った人
とか
例えば
両腕が無くなっても
絵を描く人だったり
とか
例えば
凄い技術を持っている人
とか
例えば
スピリチュアルなドクターとか
・・・・・・
だから
私が
現実的な教師を辞めて
ヒーラーとなったのは
大きな誤りだったのでは...。
思いグセとは
凄いもので、
どれだけ
苦しくても
いとも簡単に
過去のクセが
出て来るのでした。
余りにも
惨めでかっこ悪くて
私は
もう
何もできなくなりました。
ブログで文字を綴ることでさえも...。
怖かったのです。
ところが
偶然に訪れた
原生林とは
奇跡のような気付きと
死んだように
過ごしていた私を
生き返らせてくれました。
それは
なかば
強制的に
夫が私を
外へ連れ出したことが
きっかけとなりました。
例えば
重度のうつ病ならば
患者が寝たままを望むならば
周りの者は
「気分転換に」と
無理に外へ連れ出しては行けないと
ドクターは言いました。
(12年前の話です)
ところが
私は
夫の誘いを断らずに
“流れに身を委ねたこと”が
大きな転換に
なったのです。
私が
巨木から言われた言葉は
「永遠なる今を生きよ」
でした。
さらに
「(あなたが)
存在していることが愛」
だと
身体全体で
感じたときに
私の固かった鎧が
ガラガラと
外れたのでした。
それは
私にとって
奇跡以外の
ナニモノでも
ありませんでした。
その瞬間から
私は
私が
大好きだと
感じました。
状況は
何一つ
変わっていないのです。
しかし、
私は
「存在そのものが愛」を
感じたことが
“全ての答え”であるのが
頭では無く
感覚として分かり
涙が
とめどなく
流れ続けました。
悲しみや怒りや不安や恐怖が
あったとしても
それは
人間として
自然な感情で
存在しても
大丈夫なこと。
ネガティブな感情を有した人が
失敗者とか敗北者ではなく
また
スピリチュアルではないことは無い
ということ。
痛みや不安や恐怖を含めて
ありのままを
感覚として
受け容れられたとき
そこには
素晴らしい贈り物(気付き)が
待っていたこと。
“在るだけで愛”
って
凄いと思いませんか?
特に
私のように
がっつり教師的な考えで
努力しなきゃダメ
とか
大人は我慢してこそ当たり前
とか
何か“条件付きでしか”
生きていけないような考えが
染みついていて
“在るだけで愛”なんて
なかなか
感覚として
落とし込めませんでした。
かなりの時間を必要としたのは
それに至る道のりを
文字として表現することで
多くの人と
共有することに繋がっていくためだったと
今
感じています。
“在るだけで愛”なら
自分も
パートナーも
子どもも
親も
職場の人も
あらゆる人の
“存在そのものが愛”
だったんです。
そしたら
胸の内側から
温かいものが
こんこんと
尽きること無く
溢れてきます。
私は
この想いを
沢山の人と
共有したいと
思います。
誰か
特別な人だけが
好きなことを
一生涯やり続けて
楽しく生きていけるのだと
感じたときも
ありました。
ところが
誰にでも
“在るだけで愛”だと
感じるだけで
今
いる世界であっても
“自分らしく生きていける”
ということが
身を以て
分かりました。
神様は
苦しみの最中には
決して
“答え”を
くれませんでした。
答えが
すぐに欲しくて
仕方かありませんでした。
時間だけが
無駄に
過ぎていくように
感じていました。
今
槇原敬之さんの
“どんなときも”が
聞こえてきます。
♬どんなときも
どんなときも
“僕が僕らしく在るために”
好きなものは“好き”と
言える気持ち
抱きしめてたい
どんなときも
どんなときも
迷い探し続ける日々が
“答え”となること
僕は
知ってるから...
“答え”は
在るだけで愛だと
いうことでした。
そして
在るだけで愛を
感じると
いうことでした。
あなたが
今日も
笑顔で
ありますように✨✨✨
熊本県合志市野々島
なぎの木整体
スピリチュアル気功師MOE