人に興味があり、

待ち合わせの場所に

相手が遅れてきても

相手を待つ時間に

その場所から見える

人のやりとりを

観ていました。



愉しい街中にもかかわらず

怒っている人、

無表情な人、

子どもを引っ張るようにして歩く人、

とことんスマホばかりを見ている人、

笑っている人...。

色んな人がいる景色は

人の多様性を

映し出していました。








教師だった私は

職員会議で

人の表情を

よく観ていました。



議題が何であれ

とにかく

反対論ばかりの人。


よくよく観ると

議題そのものよりは

その人の心の中に

寂しさとか

「こうあるべき」論とか

怒りとかがあり、


そちらの想いが

引き金となり

その人の発言に

繋がっているようでした。

その人は

幸せそうには

見えませんでした。






人生において

縁に触れ、折に触れて

何らかの感情が

内側から

湧き出てくるなら...

周りの状況が

原因では無い、ということ。

私は

教師を辞めてから

このことが

ハッキリと

分かってきました。




不快な感情が湧き出てくるのは

“お知らせ”だと

思うのです。




このままの生き方は

“あなたの進む方向とは

気持ちのあり方が

異なるようですよ”と。


自分自身を

見つめようとするときに

うごめく感情は

自分の本質ではない価値観から

生み出されたものです。





※人に負けてはならない

※地位や名誉が人をあらわす

※お金が全てだ

※安定こそが安心だ...



まだまだ

たくさんある価値観。

多ければ多いほど

苦しみも大きくなっていたように

思うのです。




自分を知るとは

ソクラテスの時代から

言われ続けていることですが、

名言として

今もなお

残っているのは

“自分を知る”ことは

容易ではないからだと

思います。


でも、

もうそろそろ

自分自身と向き合い

縁に触れても

折に触れても

“穏やかな心”を

体現できる

本来の自分を

生み出す時期に来ているように

思います。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨






熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE