公立学校教員だった私が

“不登校は選択肢の1つ”と

思う背景は...

今の日本には

学齢期の子ども達にとって

学ぶ場所の選択肢が

余りにも

少なすぎる...

ということを

感じていたからです。


しかも...

現場の学校教員が

自ら行っている

教育内容や給食指導に

「?」を

感じている人も

少なくは無かったのです。


特に

それまでは

疑いも無く

学校にて

指導していた人が

産休・育休中に

様々な学びの機会に触れて

学校現場へ

復帰すると

様々な矛盾点に気付き

自分の指導に

疑問と罪悪感を

持つ人もいました。




今春、

小学校教員だった人が

そんな背景から

教員を

退職しています。


例えば

給食指導における

“牛乳”について。

本来の日本人の体質に

牛乳は合わないのです。

しかし

学校現場では

完食を要求します。


これは

子ども達にとって

拷問に近いものでもありました。







“みんながしているから”



ただ

それだけで

疑いもせず

右も左も

同じような指導が

行われていました。




不登校は

言葉にできない

子ども達の想いの

メッセージだと

思います。




不登校の子ども達の多くは

傷ついているように

感じます...。




そして、

不登校の子ども達は

時として

自分で自分を

責めて

傷つけているようにも

感じます。



ノーベル賞を

受賞する方の多くは

不登校だったことが

あるそうです。



芸能人でも

不登校だった人は

少なくありません。














人は

本来“魂”の中に

使命を宿して

肉体を持って

この世に生まれてきます。


使命は

人それぞれ異なります。



しかし

人は

生まれてくるときに

その使命を

忘れてしまうのです。



そして

人生において

様々な体験をしながら

自分の使命を思い出し

行動を始めて行く...。


決して

順風満帆ではありません。

むしろ

苦難の連続だったりもします。


それでも

その人の“使命”なら

やはり

どのような道のりであっても

使命を果たすように

導かれているように

思います。





“使命”というと

大きな事のように

感じますが、

使命とは

その人が

その人らしく

命を

使う生き方

です。

それは

命をかけたいくらいに

やりたいこと...。


命とは

すなわち

時間です。


時間を

どう

使いたいのか...。




ちなみに

私は

公立学校教員を

退職したからこそ、

“人が生きていく上で

本当に大切なこと”を

実体験を元に

伝えることができるように

なりました。

これが、

現役教師だったら

実名を出して

表現できていたか...

疑問です。

そもそも

安定した職にあって

実名を出さずに

どんな文字を綴ったとしても

想いは

文章を目にする人に

届かなかったかもしれません。







不登校は

少数派ではありますが、

悪ではありません。



もしかしたら

不登校が

“価値観の転換”という

チャンスを

与えてくれた可能性を

含んでいると

私は

捉えています。





あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE