苦しみや悲しみの最中にあるとき

もがいてもがいて

どうにかして

その状況から

抜け出そうとしました。

何度も何度も...。




3歳くらいの時から

親に訊いていました。

「何で人は生まれてくるの?」

母親は

「そがんことば

考えても

子どもには分からんし、

そがんことばかり

考えとったら

頭がおかしくなるけん

考えんちゃよか」

そう答えました。

私は

2度と

母親に対して

同様の質問は

しなくなっていきました。




思うと

そう思った私が、

重度の障がいのある

児童生徒の教育に

関わったのは

導きのようにも

感じます。


筋ジストロフィーで

もう

言葉さえも

話すことができなくなった生徒の

僅かな指先の動きや

顔の僅かな変化から

感情を感じようとするには

感性の豊かさが

とても

大切でした。




生きる意味は

重度の障がいのある児童生徒が

身を以て

教えてくれていたように

思います。





どんな状況であっても

あなたは

“想いを持って”

生きていけますか?と...。





わずか17才という年齢で

筋ジストロフィーによって

亡くなった男子生徒は、

亡くなる直前に

私の枕元に来てくれて

ハッキリと

こう言いました。




「先生、ありがとう」





肉体の彼は

病院にいましたから、

彼の魂が

私の自宅にまで

来てくれたのでした。





怖くはありませんでした。



その後も

私は

脳性麻痺の生徒や

重度の自閉症の児童と

関わっていきました。





苦しみ悲しみは

それが無かったら

多分

喜び幸せを

本当の意味で

感じることは

できなかったと思います。






筋ジストロフィーの彼が

生きたかった明日という時間を

私は

当たり前のように享受し

感謝するどころか

不平不満ばかりでした。






「何で私ばかり

苦しみ悲しみが

やって来るのよ💢」







きっと

筋ジストロフィーの彼は

こう言ったでしょう...。





「苦しみ悲しみが

あったとしても

もし

僕が生きていけるなら

僕は

生きることを選びたい。

お母さんの

あんなに泣く姿を

僕は見たくなかったよ」と...。





苦しみ悲しみを

人より

感じやすい人は

物事の本質を

探求することが

できる人だと

思います。


自分の内側を

見ることができるので

苦しみ悲しみだけではなく

怒りや罪悪感や後悔など

様々なネガティブな感情も

感じるのだと

思います。

それは、

今生だけではなく

過去生の感情をも含みますが、

それらを

全て

光に換えることが

可能だと

私は

感じます。

全てを光に換えることが

できた人は

この世界を

光で照らすことが

できるようになるのだと

思うのです。



イメージしてみました。




生まれてきてから

何の不自由もなく

頭が良くて

スポーツ万能、

顔もイケて、

仕事も順調。



そんな人に対して

「凄いな~」と

思いこそすれども、

私は

そんな人に

悩みを聴いて貰いたいとは

思えないのです。





“あの人には

私の苦しみ悲しみは

分からないよね...”




苦しみ悲しみが

あったとしても、

それを

乗り越えた人に

話を聴いて

自分の生き方にも

生かしていきたいと

思うのです。



だから

苦しみ悲しみを

体験した人は

それを乗り越えられた時

誰かの光になることができる...

私は

そう

感じています。






あなたが

今日も

笑顔で

ありますように✨✨✨



熊本県合志市野々島

なぎの木整体

スピリチュアル気功師MOE